書評:成田龍一『近現代日本史と歴史学 書き替えられてきた過去』中公新書、2012年。






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 敗戦後に再出発した歴史学研究は、「社会経済史」をベースにしていました。それが、一九六〇年頃からは「民衆」の観点を強調するようになりました。これが第一の変化です。さらに一九八〇年頃に「社会史」が強く提唱されるようになります。これが第二の変化です。
 大胆に言えば、この二つのパラダイム・シフトを受けた近現代日本史は、時代によって三つの見方−−第一期の社会経済史をベースにした見方、第二期の民衆の観点を入れた見方、第三期の社会史研究を取り入れた見方があると言えます。
    −−成田龍一『近現代日本史と歴史学 書き替えられてきた過去』中公新書、2012年、iv頁。

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成田龍一『近現代日本史と歴史学 書き替えられて過去きた』中公新書、2012年。

「歴史は、新史料の発見・新解釈により常に書き替えられる」。



戦後歴史学の2つのパラダイムシフトに注目し、その叙述の変化をクロニクルに併走させ「歴史」の記述・解釈の変化を追跡する興味ぶかい一冊。

例えば、田中正造は戦後の歴史学ではまったく注目されなかったが、公害問題が社会問題となって以降、注視され取り上げられるようになる。
※もちろん、パラダイムは重なり合い、劇的に断絶的転回をするわけではないので、学校教科書の現状は「第一期をベースに、第二期の成果がいくらか書き込まれているというところ」となる。

さて本書が射程にするのは明治維新から戦後日本までの「近代日本」の歴史「叙述」である。温度差や関心の差違は本書にゆずろう。

しかし興味深いのは、「歴史とは歴史と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」。というE・H・カー(清水幾太郎訳『歴史とは何か』岩波新書)の言葉を実感することである。

著者の成田さんは、第二〜第三のパラダイムシフトの時代に大学で歴史学を学んだという。だから、一層、この「対話」を実感しているのだろう。

「事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家です」(E・H・カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書)。

この言葉もあとがきで引かれている。単純な主客対比を超えた歴史を語るという行為の責任を感じる一冊である。近現代日本史を素材に、歴史認識と解釈の変化を列挙するというのは実に興味深いアプローチである。本書はもともと「歴史の教員をめざす学生たちへの講義」に原型があるという。教科書記載のゴシックを覚えるのでなく、どれだけ歴史と対話できるかであろう。

なお蛇足ながら、自分の関わる「大正デモクラシー」の評価もまさに二転する。戦後民主主義の始まる第一期の評価は「あだ花」として極めて低い。その評価を変えるのが松尾先生の再定義と評価。そして現在は、政論への注目だけでなく、さらなる再定義と文化研究やジェンダーエスニシティー、そして総力戦論への助走など彩り豊かものとなっている。









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