覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『プロメテウスの火』=朝永振一郎・著、江沢洋・編」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。



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今週の本棚:海部宣男・評 『プロメテウスの火』=朝永振一郎・著、江沢洋・編
毎日新聞 2012年07月15日 東京朝刊
 (みすず書房・3150円)

 ◇政治と科学、「不信」が開いた「人災」への道
 福島原発事故の国会調査委員会報告が出た。事故の根源的原因は、歴代の規制当局と東電との関係において「規制する側とされる立場が逆転」し、原子力の安全の監視・監督機能が崩壊していたことにあり、事故はあきらかに「人災」と断じている。この結論は納得できるが、「人災」、そして「規制する側とされる立場の逆転」という異常な現象は、なぜ起きたのだろう。

 一九五〇年代の原子力利用のスタート時、科学者と政治家との相互不信の中で日本はこの「人災」への道を歩み始めたことを、本書は伝える。

 「プロメテウスの火」とは、湯川秀樹と並ぶわが国初期のノーベル賞物理学者・朝永振一郎が、原子力を中心とする現代科学に原罪のイメージをダブらせて語った言葉である。朝永は「現在の事実には一切眼(め)をつぶって、千年先のことを考えて純粋な研究をしたい」と思いつつ科学と政治の狭間(はざま)で悩み迷い、科学者の責任を真剣に考え続けた。その朝永の原子力に関わるエッセイなどを今日の視点で編集したのが、この本である。
 日本の原子力研究は戦後占領軍に禁止され、五一年に解禁された。原子核物理学や平和目的の原子力研究をどう進めるか。「科学者の国会」と言われた日本学術会議を中心に、さっそく検討が始まった。いっぽうでは改進党の代議士中曽根康弘のリードで原子力発電の導入が進められ、原子力委員会を中心とした原子力推進体制が生まれてゆく。そういう激動の時代を肌で感じる貴重な記録でもある。編者による解説と年表が、認識を整理してくれる。

 本書は三部構成で、第一部は原子爆弾を生んだ物理学の性格を考え続けるエッセイと講演録集だ。「科学というものには毒がある、だから警戒する必要があるのだと、はっきり言ったほうがよいのではないか?」「それ(科学の毒)は、現代という社会の複雑さがもたらす必然なのではないか……」。朝永の自問自答は、半世紀後の今も重く響く。

 第二部はパグウォッシュ会議を中心に、核軍縮に関する論集である。五五年、哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインは共同宣言を発し、世界は核兵器による破滅に瀕(ひん)しており、その回避策を科学者自らが考えようと呼び掛けた。湯川、朝永を含めそれに応えた世界の科学者によりパグウォッシュ会議は回を重ねて、「核軍縮」「完全軍縮」などの概念を広め、その実現の道を探った。世界政治のリーダーに大きな影響を与え核軍縮に貢献した活動である。
 朝永の感想によると、厳しい東西対立の中で軍縮案を真剣に議論できたのは、参加者は国や団体の代表ではなく、個人の良心に基づいて参加し、「一つの集団に対し、他の集団に対するよりも強くうったえるような言葉は、一言も使わない」というラッセル・アインシュタイン宣言の精神を大事にしたからだ。

 第三部は、朝永を含む科学者らによる三つの座談会。一つ目は、慎重に基礎から研究を進めるという学術会議の議論を飛び越えて唐突に国会で承認された、巨額の原子力利用推進予算をめぐって(『科学』五四年五月号掲載)。二つ目は、その予算が通産省直属の工業技術院に丸投げされた後。工業技術院長も含め、日本の原子力推進の在り方が議論される。出席者の共通意思は、自主・公開・民主という三原則が守られるなら、協力して優れた実験用原子炉の自主開発を進めようということだ。米国から炉を輸入するのではないかとの警戒も語られる(同十一月号掲載)。

 三つ目は、五九年。法律で原子力委員会が設置され、米国製実用炉の輸入、米国依存の道が敷かれつつある。自主開発は否定された。原子力委員会に参加した湯川、坂田昌一ら一流の物理学者たちも、運営に抗議して委員を辞任。原子力での科学者排除は、着実に進んでいた。
 この座談の中核は、中曽根科学技術庁長官・原子力委員会委員長と他の出席科学者との厳しい応酬だ。学術会議や批判的な科学者の排除を進めた中曽根は、その背景にある自分の考えを直截(ちょくせつ)に語っている。簡単に言えば日本の科学者への不信だが、その根深さが印象的だ。

 原子力のような長期的かつ危険を伴う開発は十分な基礎研究と人材育成から始めよという科学側の主張は、退けられた。左翼が糸を引いている、研究費が欲しいからだと、中曽根らは考えた。こうして日本の原子力利用は、政治家と科学者の極めて不幸な相互不信、ボタンの掛け違いとともに始まったのである。優れた科学者は原子力行政から排除され、専門性を持つ科学者の育成・配置も進まなかった。冒頭に述べた国会事故調査委員会報告は、歴代の規制当局に科学的な判断能力がなく、規制される側の言うなりになっていたと指摘している。

 「(原子力という)難問題を科学的に処理する受入れ体制が日本の現状にあるかどうか、はなはだ心配」(エッセイ「暗い日の感想」)という朝永らの危惧が、残念ながら現実になった。今後、政治と科学が密接に共同する欧米諸国のような状況を生み出せるかどうか。それは、私たちや若い世代にかかっている。
    −−「今週の本棚:海部宣男・評 『プロメテウスの火』=朝永振一郎・著、江沢洋・編」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。

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