日本の国家的独立という事もまた福沢にとっては、条件的な命題であることを看過してはならない
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ヨーロッパ文明論と並ぶもう一方のテーゼとしての日本の国家的独立という事もまた福沢にとっては、条件的な命題であることを看過してはならない。国の独立が目的で文明は手段だと福沢がいうとき、それはどこまでも当時の歴史的状況によって既定せられた当面の目標を出でないのであって、一般的抽象的に、文明はつねに国家的存立乃至発展のための手段的価値しかなく、国家を離れて独自の存在意義は持たぬという立場を取ったのでは決してない。かえって福沢は「文明」が本質的に国家を超出する世界性を持っていることについて注意を怠らなかった。さればこそ、上の命題を掲げたすぐ後に、「人間智徳の極度に至ては其期する所、固より高遠にして、一国独立等の細事に介々たる可らず」といい、「此議論は今の世界の有様を察して今の日本のためを謀り、今の日本の急に応じて説き出したるものなれば、固より永遠微妙の奥薀に非ず。学者遽に之を見て文明の本旨を誤解し、之を軽蔑視して其字義の面目を辱しむる勿れ」(概略、巻之六)と繰返し念を押しているのである。
−−丸山眞男「福沢諭吉の哲学」、松沢弘陽編『福沢諭吉の哲学 他六篇』岩波文庫、2001年、79頁。
※ 初出『国家学会雑誌』第六一巻第三号、1947年9月。
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本来、国民国家への帰属意識というのは、それが創造されたフランス革命後の欧州世界をみれば分かるとおり、実体ではなく、仮象にしかすぎないものであることは私が指摘するまでもない。
しかし、国民国家操業に関して「遅れてきた国民」(プレスナー)というものは、それを実体として意識的に利用するフシがあり、このところのニュースを聞くたびにうんざりとしてしまう。
日本で国民国家が創造されるのはいうまでもなく御一新以降のことになる。そしてその論壇を民間の立場でリードしたのが福沢諭吉であろう。
そのため、ポストなんちゃらの立場からすれば、福沢を批判的に「乗り越える」必要があるとの指摘も出てくる。たしかに福沢の限界は多々存在することは否定しない。
ネーション・ステートを創造することに福沢が心血を注いだことは紛れもない事実である。しかし、そこに心血を注ぐ以上に、福沢はそれを相対化することにもエネルギーを注いでいることも否定しがたい事実であると思う。
だからこそ、欧州に範をたれてことよしとするのでも、守旧的なアプローチでよしとするのでもない福沢自身の「文明論」というのが出てくるのだと思う。
そしてそれを甦らせていくのが、戦中〜戦後期に、福沢諭吉を自認した丸山眞男なんだろうと思う。
市民というエートスは、土や血に準拠したものでもなければ、うすっぺらい根無し草のコスモポリタンでもない。前者のイデオロギー性を認知しつつ、どこかにあると「想定」される普遍「主義」でもない、人間の人品(ディーセンシー)にそれは位置するものだと思う。
このところ、野暮な連中が多くてねぇ〜。