覚え書:「みんなの広場 67年前の天気予報」、『毎日新聞』2012年8月19日(日)付。
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戦中にはラジオの天気予報の放送がなくなっていたが、敗戦後、ある日突然に「今日から天気予報を復活します」と言った。この時、「ああ平和が戻ったんだな」と、しみじみと思った。
「昭和家庭史年表」によれば、太平洋戦争開戦後はラジオが第1放送だけで、第2放送と気象通報(天気予報)は中止。気象通報の復活は敗戦の年8月21日である。私(旧制高校生)はその日にそれを聞いていたことになる。
戦中、日本の気象の状況を公表しなくなったのは国防上の必然ではあったが、その再開のアナウンスが、あれほどにも「平和の再開」に直結していたのかと思うと、67年後の今、実に感慨深いものがある。
私は東京と神奈川で一度ずつ空襲を受け、何とか生き残ったが、戦後、青空を見上げて生きる喜びを味わった思いが忘れられない。
−−「みんなの広場 67年前の天気予報」、『毎日新聞』2012年8月19日(日)付。
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