覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『それをお金で買いますか』=マイケル・サンデル著」、『毎日新聞』2012年08月19日(日)付。



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今週の本棚:松原隆一郎・評 『それをお金で買いますか』=マイケル・サンデル
 (早川書房・2200円)

 ◇驚くべき「市場化」の実態を暴く
 一昨年の夏、フォークの岡林信康のコンサートに行った時、曲の合間に岡林がこんなことを言った。「僕ら若い頃は『渋公(渋谷公会堂)』っていえば憧れたけどねぇ。それがいまやC.C.Lemonホール。力が入らんで……」。公会堂の命名権を渋谷区は市場化し、期間限定で売却していたのだ(現在は期限切れで「渋谷公会堂」に戻った)。市場化の波が公共ホールの名前にまで押し寄せているのだ。

 本書はこうした市場化が近年のアメリカを覆い尽くす様を暴き、考察している。それがアメリカだけの問題でないことは、大阪の文化の象徴とも言われる中之島図書館を廃止し、別の事業で活用するという府知事案が報じられた件でも明らかだろう。「あそこで事業をしたいという公募事業者はものすごい数がいるはずだ」というわけだ。

 これには抗議が殺到したといい、岡林のみならず市場化には違和感が寄せられているのだが、不思議なことに市場化を是とする傾向そのものは止まらない。リーマン・ショックでは世界中で納税者負担による救済措置が施されたというのに、政府への攻撃と市場の導入を唱えるアメリカのティーパーティー運動や日本の橋下ブームが勢いを増している。これはいったいどういうことか。
 ハーバード大学での「正義論」講義で一躍有名になった著者は、本書でも驚くべき事例を列挙する。ひとつは、「行列への割り込み」。金を払えば高速道路の速い側の車線に割り込める「レクサスレーン」や当日予約で治療を受けられる「コンシェルジュドクター」で、これらはダフ屋や代理の並び屋に類する問題事例である。

 二つが、報酬を与えて促す「インセンティブ」。二酸化炭素の排出権、クロサイを撃つ権利、果ては子どもの読書にも報酬を与えることで、環境やクロサイの生存数、学習時間を改善する試みである。

 三つが生命保険。生保に疑問を持つ人は少なかろうが、死後に受け取る支払いを投資家に売却し、生前に当人が受け取って余生に充てる「バイアティカル」はどうだろう? ここで投資家は「早い死の訪れ」を期待しているが、不謹慎ではないか。また今年死ぬ有名人を当てる「デスプール」なる賭けは? そして最後が「命名権」。いまや公会堂のみならずパトカーやトイレ、身体、あげくに「額(ひたい)」までも広告に貸し出されている。
 著者はこの止めがたい「市場化」の波が経済学の思考習慣に由来するとみなして、反論する。経済学は、「市場化」によって財をどれだけ欲しいか金銭で表明され大きい順に採用されると、そうでない場合よりも社会的に効用が増すと主張する。欲しくないプレゼントよりもお金をあげた方がマシ、というわけだ。だが支払い能力に差があれば、好きでもない商品が富者に買われている可能性がある(「公正」にもとづく批判)。

 さらに著者が重視するのが、市場化のもたらす「腐敗」だ。人々の公共心が金銭勘定に置き換えられてしまうのだ。献血に報酬を与えると利他心が弱められ、血液提供量は減ってしまう逆効果がみられるという。

 評者としては、行楽地に林立する看板が気になって仕方がない。商業広告から離れて自然を眺めるという人権への侵害かと思えるからだ。似ているのが、小説家が作中で「ブルガリ」の宝飾品に最低12回言及する依頼を受けたというイギリスの例だろうか。イギリスでは読書を冒瀆(ぼうとく)するとして、書評に取り上げないなど対抗措置がとられた。本欄は、どんな方針で対処するのだろうか。(鬼澤忍訳)
    −−「今週の本棚:松原隆一郎・評 『それをお金で買いますか』=マイケル・サンデル著」、『毎日新聞』2012年08月19日(日)付。

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覚え書にコメンタリー残すのもナニですが、twitterでも少し言及したので私自身への覚え書として少し残しておきます。

サンデルの日本における不幸は、受容も「ブーム」であり、批判も「ブーム」(とその手法)に対するものというところでしょうか。

特に二者択一的議論に躓きを覚える方は周りにも多いのですが、サンデルの演出というのは、聖賢の思索に耳を傾けつつ今を考えるひとつのヒントにすぎないし、単なる思考実験であるということ。

その意味では、TV『白熱教室』や『これからの「正義」の話をしよう』、近著『それをお金で買いますか』(共に早川書房)にイチャモンをつけるよりも、コミュニタリアンとしての政治哲学に対して向かっていくべきかと思う。

リベラリズムにしてもコミュニタリアニズムにしても、アメリカの公共哲学の基本とは、特定のドグマにひとを当てはめていく古いやり方ではなく、コミュニティ創出の過程で、それを協同しながら措定していくものだから。

その意味では、『リベラリズムと正義の限界』(勁草書房)、『民主政の不満――公共哲学を求めるアメリカ 手続き的共和国の憲法』(勁草書房)、……このあたりはがしがし読んでからという気がするのですが……詮無いことか。

別にサンデル主義者ではありませんが、どうもその政治哲学における批判というのはあまり見ないから(涙








http://mainichi.jp/feature/news/20120819ddm015070003000c.html



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