そして生き甲斐などと、ひと口に言えば大変なものも、仔細に眺めれば、こうしたひとつひとつの小さな生活の実感の間に潜んでいる



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長い間勤め人として暮らしてきたので、やめるには相当の決心が必要だったが、もともと頑健とはいえない身体で、会社勤めと小説書きを兼ねる生活は、そう長くは勤まるまいという予感があったので、そう深刻には悩まないで済んだ。
 しかし長年の生活習慣を、一ぺんに変えるというのはなかなか大変なことで、当座私は芒然と日を過ごしたりした。人はその立場に立ってみないと、なかなか他人のことを理解できないものだが、その当時の私は停年になった人の心境が少し理解できた気がしたものである。
 われわれの日常は、じつに多くの、また微細な生活習慣から成り立っている。そして生き甲斐などと、ひと口に言えば大変なものも、仔細に眺めれば、こうしたひとつひとつの小さな生活の実感の間に潜んでいる筈のものである。長年の生活習慣を離れて、新しい生活習慣になじむということは、私のような年齢になると、そう簡単なことではない。
 多分そういうとまどいのせいだろう。勤めている間は、会社をやめてひまが出来たらあれも読み、これも書きいろいろと考えるところがあった筈なのに、それではその後何か計画的な仕事をしたかとなると、どうも漫然と流されて一年経ってしまったような気がする。しかも会社勤めをやめたらひまが出来るものと信じこんでいたのに、意外にそのひまがない。身体は楽になったが、精神的にはだらだらといそがしい日が続いている。
    −−藤沢周平「あとがき」、『冤罪』新潮文庫、昭和五十七年、419−420頁。

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疲れたときとか、もうだめだなぁ〜と思うときに読み返すのが、藤沢周平さんや池波正太郎さんの時代小説です。

時代小説と言えば、まあ、「現代の人間が過去を舞台に『創作した』“お話”ですよね!」って言葉を耳にすることがよくあります。

もちろん、そういうものも存在するとは思いますが、簡単にそう片づけてしまうことほど「お花畑」はないのも事実であると思います。

藤沢さんや池波さんたちが、生活の中で汗を流し、食に希望の灯火を点火され、不正に対する怒りを忘れず、人間を愛し続ける中で、生命をすり減らすように、その思念を「言葉」にかえていった訳で、そこには創作というカテゴリーや時代という制約に制限されない、何か普遍的な営みを感じてしまうのは僕だけではないでしょう。

さて……。冒頭に紹介したのは藤沢さんの初期短編小説集の「あとがき」です。直木賞を受賞した(1973年)の翌年から3年の間に発表した作品群になります。

氏自身が言及している通り、ちょうど、勤め人と作家の二重生活を辞めた時期にも重なりますが、注目したいのは、次の一節です。

「われわれの日常は、じつに多くの、また微細な生活習慣から成り立っている。そして生き甲斐などと、ひと口に言えば大変なものも、仔細に眺めれば、こうしたひとつひとつの小さな生活の実感の間に潜んでいる筈のものである」。

いわゆる「青い鳥」というのはどこにいるのかといえば、結局は自身の生活のなかに潜在しているということ。

だからでしょうか……。

藤沢さんや池波さんの作品に眼を通すと、大文字の政治文化とは違うけれども、そして生活への後退とも違うけれども、この世でもういちど、「挑戦しよう」というのが私の感慨です。

……って私だけではないのだとは思いますが。。。


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