敵味方と分れても、彼我の交争を超越する最高の原理を共同する所から、互に尊敬し合ふといふのは、昔からの日本民族の誇りとした精神ではないか。





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 且つ亦、仮令国法を蹂躙し、正面から我々に反対するものでも、之を無下に敵視するのは古来の武士道の精神でもない。敵味方と分れても、彼我の交争を超越する最高の原理を共同する所から、互に尊敬し合ふといふのは、昔からの日本民族の誇りとした精神ではないか。昨年の十二月帝劇に於て「安宅の関」といふ芝居があつた。義経弁慶は頼朝に取つては不倶戴天の敵である。富樫左衛門は時の政府の命令を受けて国賊を逮捕するの任務を負ふて関を守つて居る。其処へ義経弁慶の一行が飛び込んで来た。富樫は行政上の職責として、此の国賊を是非とも逮捕すべき責任のあるのに、臣として義経に対する弁慶の忠誠に感激して、遂に之を免してやつた。其上諸国の関所に対するパツスさへ贈つた。今日の乾燥なる法律論から云へば、飛んでもない不都合な役人と云はねばならぬが、富樫左衛門彼自身は、其の間に何等の煩悶をも感じない。見物人も亦寧ろ富樫に同情して居る。何故かといふに、即ち彼は敵味方の区別を超越した最高の道徳即ち君臣の義といふものを弁慶に認めて、之に無限の感懐と尊敬を感じたからではないか。今日の言葉で申すならば、国家を超越する所の最高の正義は、国法以上に尊敬すべき者であるといふ考を現はしたものに外ならない。であるから、富樫左衛門は弁慶の縄を解いた後、「斯かる剛勇無双の忠臣に非道の縄を繋けたる罪、弓矢八幡赦させ給へ」と述懐して居る。即ち此の最高の道徳に対しては、彼は行政上の職務を完うするが為めに縄を掛けたことさへ、一種の罪悪と観ずるに至つた。若し斯ういう思想が日本古来の精神であつたとするならば、例へば先達にて日本に来た呂運亨君の如き、形の上に於ては逆賊に相違無いが、彼の抱懐して居る所の正義の観念に対しては、我々は之に無限の尊敬を払ひ、彼を優遇したやつたといふことに、日本国民として何等反感を有つべき筈は無いと思ふ。
 要するに、朝鮮人を適当に扱ひ朝鮮問題を適当に解決するが為めには、今日少なくとも富樫左衛門以上の雅量を国民全体が有つことを必要とする、少なくとも当局始め天下の識者がこれだけの雅量を有つてなければ、どうしても茲に満足の解決を見ることが出来ないと思ふ。
    −−吉野作造「朝鮮青年会問題」、『新人』一九二〇年三月。

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うえの文章は1919年11月、「呂運亨事件」が起こった際、吉野作造がそれに対する論評を加えておりますが、その幾つかの内で比較的最後の方に言及された一文です。

「呂運亨事件」とは、三一独立運動の勃発した19年の冬、時の原内閣は組合教会朝鮮伝道部の牧師を使い、上海臨時政府の要人・呂運亨を招き、田中義一陸相らと会見させ、日本政府は呂運亨を何とか懐柔しようと試みます。

しかし、呂の方が「役者が上」だったのでしょうかw

呂はこの機会を利用して、朝鮮半島の独立要求を内外の新聞記者に公然と訴えます。結果、野党やメディアは、朝鮮半島の独立を主張して宗主国・日本とその国法に背く「反逆者」を優遇したとして政府を攻撃しました。
※これもいつものパターンですね、現在でも拝見しますが。

さて、吉野は、呂が来日中、数回面会しておりますが、その会談を踏まえ、「所謂呂運亨事件について」(『中央公論』一九二〇年一月)等一連の論評を発表しております。

吉野は「朝鮮独立の計画は日本の国法に対する叛逆の行為たるに相違ない」と前提しつつも、「国法の権威よりも、国家其物は遥かに重い」と説き、野党とメディアの「ネガティブ・キャンペーン」を一蹴します。

なぜなら、朝鮮半島の将来についての問題は、国法違反云々で議論すべき些事ではなく、国家の大事であるからです。だとすれば、独立運動の人間と胸襟を開いてあらゆる可能性を相談することの何が「不逞」なのか!ということです。

もちろん、吉野は「朝鮮半島の独立」を声高に主張している訳ではありません。しかし、朝鮮半島の未来を政争の道具として利用する政治家とメディアを批判する構成をとりながらも、実際問題として、朝鮮半島の独立を視野も含めた議論が必要であること、そして、それは「国法違反」云々の足の引っ張り合いを越えた問題であると説きました。

さて、原則論としては、日本人とカテゴライズされる植民地化の朝鮮人の独立要求は、確かに国法違法でしょう。しかし「国家を超越する所の最高の正義は、国法以上に尊敬すべき者である」とすれば、それは否である。

それを読み手に分かりやすく紹介するために、有名な「安宅の関」で弁慶の縄を解く富樫左衛門を紹介しております。それが上に引用した箇所です。

舞台でも有名なように、富樫は、弁慶・義経の一行を放免してしまいます。それは国法を越えた道義心ゆえの放免です。そしてその普遍的道理・道義心に従うことこそが「日本の伝統」であるともいいます。
※吉野の日本批判は、西洋を範にした普遍主義からの特殊批判と誤解されがちですが、実際、必ず伝統の文脈に即して批判するから上手い。

「祖国の恢復を図る」のは普遍的な立場であり・かつ日本の伝統に則するものだとすれば、先の呂運亨は「形の上に於ては逆賊に相違無いが、彼の抱懐して居る所の正義の観念に対しては、我々は之に無限の尊敬を払ひ、彼を優遇したやつたといふことに、日本国民として何等反感を有つべき筈は無いと思ふ」。



独立や自治自体を「悪」と見なす短絡的な思考を否定する吉野の主張には、朝鮮の独立や自治を言葉にすること自体が憚れる世相であることを勘案しても、これは慎重な議論の組み立てながらを装いながらも、本質を付く勇気ある提言だと思います。

そして、興味深いのは、単純な言葉の応戦に終始する政治言説を一切退けながら、根源的探究という立場から、有象無象をばっさりと斬っていくということ。

こういう創造的言説は今の時代にも必要かも知れませんね。









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