覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『ヒトはなぜ難産なのか』=奈良貴史・著」、『毎日新聞』2012年10月7日(日)付。
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今週の本棚:海部宣男・評 『ヒトはなぜ難産なのか』=奈良貴史・著
(岩波科学ライブラリー・1260円)
◇人類学の視点で「お産」という大事と向き合う
お産が女性にとって大変な難事業だということは、男性でもみな知っている。けれど、数多(あまた)の哺乳類の中で人間の難産が際立っていることをこの本で知ったら、何やら、いろいろなことが一度に見えてくるような気がしてきた。
何よりも、この大きな頭だ。何枚もの頭骨が複雑な縫合線で付着し、しっかり脳を守っている。でも、生まれて間もない我が子の頭に触れてその柔らかさに驚いたお父さんも、多いのでは。私も、その記憶は生々しい。このふにゃふにゃの頭は生後一年で三倍になり、二歳児にしてようやく固まる。こんなに頼りない未熟児で生まれるのは、ヒトの一大特徴だ。それでも新生児が生まれるときは、頭の直径を三分の二近くに縮め、身体の位置や方向を何度も変えながら、やっと出て来るのだという。何と大変な。
ヒトがかくも難産になったのは、直立歩行と大きな頭に直接の原因がある。直立したおかげで骨や内臓の配置・構造が複雑になり、お産には不向きになった。三百万年くらいも前から直立して歩いていた猿人やホモ属はみな、難産だったのだろうか。さらに、大きな頭が、直立歩行の結果として進化した。
頑丈で頭も現代人なみだったネアンデルタール人は、難産だった可能性が高いという。ネアンデルタール人の研究者でもある著者は、彼らはお産でやや有利だった現代人に負けていったのかもしれないと、想像を巡らせる。つまりヒトは、文明を持てる知能を、子孫を残せるギリギリのところで獲得したのだろうか? ネアンデルタール人は、もう少しのところでそれに失敗したのかもしれない。
……とすると宇宙のほかの星の「文明人」のお産はどうなっているのかなあ、などつい想像は駆け巡るが、閑話休題。
昔からお産は本当に大変なことだったという事実も、重い。お産で母親が亡くなることは珍しくなく、産むことは女性の命がけの大事だった。平安時代の『栄華物語』では、出産する女性四七人のうち四人に一人弱の一一人がお産で死ぬとのこと。若干誇張はあろうけれど、江戸時代のある推定では、やはり女性の死因の四分の一がお産だという。でも怖いと言って産んでくれなかったら、人類も日本も私もないわけだ。女性とは、実に偉大な存在である。
そして昔から、また世界中で、お産という大仕事を本人任せにしないで周りが助ける工夫や仕組みが多様に発展していることを、本書は丁寧に紹介する。これも、人間なればこそ、である。
現代のお産での死亡率は、戦前に比べてもほぼ百分の一と、百パーセント安全とはいえないにせよ劇的に下がっている。目出度(めでた)いことだが、難産であること自体が変わったわけではなく、助産の制度や施設での医療分娩(ぶんべん)が整ったためである。しかしいっぽうで著者は、産婦が「産む人」から「産まされる人」になったと指摘する。アメリカなどで多い不必要な帝王切開の適用や、フランスで著しい麻酔による無痛分娩についてその弊害を語り、「必要な場合に限る」ことが大事と説いている。
学生や聴衆に歓迎された講義・講演を基にした本というが、さもありなん。目配り気配りが行き届いて、読んでいて気持がよい。とりわけ人類学の視点からヒトの難産を取り上げたことで、ぐっと視野が広がった。例えば著者は、動物も昔の人も自分で産んできたのだからもっと自然に任せるべきだという「自然分娩派」にも、そういう立場から警鐘を鳴らしている。
広い科学に立脚して重要な視点を提供するのは、科学者が果たすべき役割の一つだろう。
−−「今週の本棚:海部宣男・評 『ヒトはなぜ難産なのか』=奈良貴史・著」、『毎日新聞』2012年10月7日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20121007ddm015070038000c.html