書評:小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年。



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かかわりと運動のなかで変化していく
 マルクス主義の経済分析や革命理論は、いまではあまり使えないとされています。しかし上記のような物象化と弁証法、そして現象学の考え方は、このように応用できます。
 まず、「AとBが対立する」という個体論的発想を、見直す必要があります。「労働者」と「資本家」、「男」と「女」、「私」と「あなた」は、関係が物象化している、事後的に構成されているにすぎません。対立してどちらかが勝つということはないのですから、関係を変えなければなりません。
 そういう意味では、女が「企業戦士」になり、男が「専業主夫」になっても、社会を変えたことにはなりません。いまの非正規雇用労働者が正社員になり、いまの正社員が非正規になっても、対立が止揚されたことにはなりません。
 一例としてオランダでは、フルタイムの正規雇用をむりに増やすのではなく、九六年の労働法改正でフルタイムとパートタイムを均等待遇にしました。労働時間が違うだけで、同じ労働なら同じ時間給、社会保障制度も適用され、解雇条件も同じとされました。育児期間はパート労働に就く女性は多いですが、不満や問題は小さくなり、パートタイムでも問題が少ないのでそれを選ぶ人も増え、失業率も低下しました。
 同じように、たとえば事故がおきたとき、補償をもらえる人と、もらえない人が対立しても、意味がありません。分断と対立という関係をもたらしているものを変えないと、解決はありません。巧妙な統治のやり方のなかには、分割統治といって、わざと被統治者どうしを対立させ、対立をもたらしている制度や政策に、目がむかないように仕向けたりする方法さえあります。
 またこうした考え方からすれば、一人で山の中で修行しても、「自己」などは確立されないことになります。社会とかかわって関係をもたないと、自己など現象するはずがない。
 逆に言うと、「私は社会とは関係ありません」とか「私が動いても社会は変わらない」というのは、悲観でも楽観でもなく、単に不可能です。自分が存在して、歩いたり働いたり話したりすれば、関係に影響をおよぼし、社会を変えてしまいます。政治に無関心な人、不満があっても動こうとはしない人が増えれば、確実に社会を変えます。自分が望む方向に変えるように行動するか、自分が望まない方向に変えてしまう行動をとり続けるのかの違いです。
    ーー小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年、367ー368頁。

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「社会は変えることができない」と嘯く前に手にとって欲しい現代批評。まず戦後日本の社会運動を概観し、特徴と問題を指し示す。次にプラトンに始まり、ロック、ルソーへと続く社会思想史の流れから、代議制民主主義(自由主義と民主主義)を検討する構成になっている。

成立史と運用から、代議制民主主義は条件がそろうと機能し、90年代までの日本型工業化社会においては一定の成果も収めてきた。しかしその条件の破綻は、限界を示すことにもなる。もはや「社会を変える」ことは不可能なのか−−。筆者は先ず認識構造の転換を促す。

利益配分によって調整が機能していた日本型工業化社会は、「近代」という認識構造に準拠している。近代の認識構造とは何か−−。真理の実在論(個体論)である。しかし、調整不可能となった社会においては従来の対処では応じることはできない。

近代批判の道具として、筆者はフッサール現象学ハイゼンベルク不確定性原理、そしてマルクスの物象化論に注目する。そこから見えるのは、個体論(真理の実在論)から関係論へのパラダイムチェンジである。

私は24時間一生「父親」である訳でない。かつては24時間一生「父親」であることでそれでうまくいったのであろうが、今はうまくいかない。だとすれば、認識の地平から相互の関係性に注目するしかない。これは代議制民主主義の否定ではない。苦手部分を異なるアクセスで引き受けることだ。

個体論に基づく社会変革の理論は「お前、変われよ」という人間が「変わらない」というシステムだった。しかし、不確定性原理のように相互に影響をあたえる「関係世界」が私たちの生活世界の実像である。だとすれば“共に”「変わっていく」オプションは必要だろう。

筆者はギデンズの社会分析を元に、「参加すること」に注目する。参加において大切なことは何か。それは「楽しく」参加することである。勿論それは投票だけでもデモだけでもない。その様態を「鍋を囲む」と形容する。楽しく参加しお互いに変わっていくこと。

この本には「社会を変えるには」の万能薬は書かれていない。筆者は「楽しく参加」し「対話」することの多様な展開にそれを展望する。参加と対話を否定したのがこれまでのありかただ。だとすれば一つのヒントになり得よう。

余談ですが、新書として500頁を超える大著ながら、社会思想史として「自由主義」「民主主義」の系譜をざっくり概観することができるという意味ではお得です。特に、若いひと、高校生や大学生1〜2年生に読んで欲しい。そしてお互いに「創造」したい。


筆者のインタビュー記事ですが、、『社会を変えるには』のアウトラインが見事に紹介されております。

「社会を作る楽しさを人々は忘れかけている--『社会を変えるには』を書いた小熊英二氏(慶応義塾大学総合政策学部教授)に聞く」:東洋経済 社会を作る楽しさを人々は忘れかけている--『社会を変えるには』を書いた小熊英二氏(慶応義塾大学総合政策学部教授)に聞く | 読書 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準



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 人間が楽しいときは、どういうときでしょうか。あれを買って楽しい、あきたら次を買う。政治家がだめだから、こんどはこの人に期待する。この運動に参加してみたいがいまひとつなので、ほかへ行ってみる。自分が持っている者を自慢して、他人を批判する。こういうのは、じおつはあまり楽しくありません。
 なぜかといえば、自分が安全地帯にて、相手をパーツとしてとりかえているだけだからです。手間がかからず、自分が傷つく恐れがないかもしれませんが、人間は欲深いもので、受け身で消費しているだけでは満足しません。自分で何か作ってみたり、行動してみたり、関係してみないと、なかなか満足できないものです。
 動くこと、活動すること、他人とともに「社会を作る」ことは、楽しいことです。すてきな社会や、すてきな家族や、すてきな政治は、待っていても、とりかえても、現れません。自分で作るしかないのです。
 めんどうだ、理想論だ、信じられない、怖い、という人もいるでしょう。そう思う人は、いまのままでやっていける、このままで耐えられると思っている人なのでしょうから、これからもずっとそうして過ごしてください。いつまで続けられるかは、わかりません。あとはなたが決めることです。
 境を変えるには、あなたが変わること。あなたが変わるには、あなたが動くこと。言い古された言葉のようですが、いまではそのことの意味が、新しく活かしなおされる時代になってきつつあるのです。
    −−小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年、502−503頁。

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