覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『ビルバオ−ニューヨーク−ビルバオ』=キルメン・ウリベ著」、『毎日新聞』2012年12月23日(日)付。



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今週の本棚:沼野充義・評 『ビルバオ−ニューヨーク−ビルバオ』=キルメン・ウリベ著
 (白水社・2520円)

 ◇時間・空間を自由に旅するバスク語の物語

 現代バスク文学の新鋭による長編の邦訳である。訳者もバスク語の世界に分け入ろうとする若手研究者で、原作者と訳者の息が見事に合って、みずみずしい出来上がりになった。バスク語からの直接訳でバスク文学が紹介されるのは、日本ではこれが初めてである。

 「バスク」について、一般に知られているのはせいぜい、フランスからスペインに跨(また)がる地方に住む少数民族で、急進派が独立闘争の中でテロ事件を頻繁に起こしてきた、といったイメージくらいではないだろうか。実際、バスク語は俗に世界で最も難しいと言われるほど特異な孤立言語で、この言語によって書かれた文学の歴史も浅い。本書の中で、語り手が「僕らバスク人(エウスカルドウノク)はずっと、自分たちは文学的にわずかな伝統しか持ち合わせていないと思ってきた。そして、バスク語で出版された本の数を数えてみれば、あまり多くはないというのが事実だ」と嘆いている通りである。

 しかし、ウリベはあえてそのバスク語で書く。本書は詩人として既に名声を得ていた彼が初めて手がけた長編小説だが、まさにバスク語で小説をいかに書くかというプロセスそのものが小説になったメタフィクションである。語り手は著者自身とほぼ等身大と思われる人物で、その名もキルメン・ウリベ。その彼が親族や関係者を尋ねて話を聞いて、漁師であった自分の曽祖母の代に至るまで家族の物語を集め、郷里の建築家や政治活動家や画家の足跡をたどっていく。登場人物の大部分は実在するので、日本流に言えば私小説的な要素を取り込んだノンフィクションといった書き方だとも説明できる。たとえば、本書の中で決定的に重要な役割を果たす画家のアルテタは(彼の代表作である「巡礼祭」という壁画のカラー複製が小説の中に挟み込まれている)、スペイン共和国政府から最初にゲルニカを題材とした作品の制作を依頼されながら、それを断り、戦争にうんざりして家族とともにメキシコ亡命の道を選んだ人物である。ちなみに、ゲルニカとはナチスによる無差別爆撃を受けて甚大な被害をこうむったバスク地方の小都市であり、それを題材にしたピカソの絵画は世界的に有名になった。

 本書でウリベは時間を行き来して、北大西洋で漁をしていた祖父の代から、バスク地方にも大きな傷跡を残したスペイン内戦時代、そして現代へと時間をたどるとともに、世界の空間を自由に移動して、様々な少数言語の使い手が集まったエストニアの小村でセミナーに参加するかと思えば、スコットランドの小島を探訪するといった風で、一見とりとめのない書き方のようだが、歴史(縦の軸)と空間(横の軸)がまさに交わる点に立とうとする作家の姿勢はすがすがしい。彼は失われた過去のちょっとした民族的な身振りに対しても限りない愛惜の念を注ぎながらも(手の甲を優しく撫(な)でる「愛してる(マイテ)、愛してる(マイテ)」という仕草がなんと表現力豊かなことだろう!)、ジェット機とインターネットの時代に生きる現代作家として未来を切り拓(ひら)こうともしている。

 その意味では、本書の語りの全体が、ビルバオというバスクの中心都市からフランクフルト経由でニューヨークに向かう主人公の飛行機による旅と並行しながら展開していくのは象徴的だ。この移動の感覚は日本の多和田葉子リービ英雄にも通ずる、極めて現代的なものである。バスクという「マイナー民族」の作家はいまや世界文学の土俵のうえで、民族を超えた交流の道に踏み出しているのだ。(金子奈美訳)
    −−「今週の本棚:沼野充義・評 『ビルバオ−ニューヨーク−ビルバオ』=キルメン・ウリベ著」、『毎日新聞』2012年12月23日(日)付。

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