覚え書:「今週の本棚:富山太佳夫・評 『完訳 日本奥地紀行 1〜3』=イザベラ・バード著」、『毎日新聞』2012年12月23日(日)付。




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今週の本棚:富山太佳夫・評 『完訳 日本奥地紀行 1〜3』=イザベラ・バード
 (平凡社東洋文庫・3150?3360円)

 ◇英国女性が見た明治の地方文化史

 年末から年の初めにかけての温泉旅行というのも悪くはないにしても、さしあたり今年は無理。その代わりに、せめてもと考えて、旅行記を読むことにしたのだが、途端にビックリ仰天してしまった。こんなくだりを眼(め)にしてしまったからだ。

 「ここにはハクスリーやダーウィンハーバート・スペンサーの著作の一部の翻訳書も置いてあるが、主人の話だと上級の学校に行っている若者が買っていくとのことである。一番売れているのは『種の起源』だとのことである」。その少し前のところには、「いちばん需要があるのが反道徳的な事柄をこれ以上詰め込めないほどに詰め込んだ本[好色本]であり、これがすべての階級の人々の道徳を堕落させている」という文章がある。旅行記の中でこのような文章に出会うことは普通は考えられないことなのだが、げんにそう書いてあるのだ。

 それが書かれたのは新潟でのこと。年号は一八七八年(明治一一年)。著者は女性で、名前はイザベラ・バード。その彼女の言葉によれば、「私はといえば、日本人の中で過ごし、ヨーロッパ人との接触による影響のない地域における日本人の暮らしぶりを目(ま)のあたりにした」。もう少し正確に言うと、一八七八年五月に横浜に上陸し、汽車で東京に向い、浅草などを見てまわり、日光にも足をのばし、会津を経て新潟へ向い、山形、秋田、青森を通って北海道に渡り、仕上げに伊勢や京都へも向う。「旅の手段は、ほとんどが徒歩か駄馬か<駕籠(カゴ)>と称される覆いのある竹製のかご(バスケット)か、<人力車(クルマ)>である」。同行したのは、伊藤(イト)という名の若い男の通訳ひとりであった。丸七ケ月間の日本の旅であった。

 まったく信じられない旅である。その旅行記にしても、各地の自然の風景、交通、宿の様子、食べものの話、人々の服装や振舞いの特徴、各地の祭りのこと等々、それこそありとあらゆることが書きしるされていると言ってもいいだろう。端的に言えば、この旅行記はこの時代の地方文化史でもある。今ではこの時代の日本の文化の諸相についての貴重な資料にもなるということである??それがひとりのイギリス人の女性の手によってまとめられたのだ。

 勿論(もちろん)彼女は並の女性ではない。体調の回復を目的として、日本に来る前に既にハワイやロッキー山脈にも旅して本を出し、日本を訪れたあとでは、中国、インド、チベットペルシャにも旅し、勿論朝鮮にも足を運んでいる(それらは『朝鮮奥地紀行』、『中国奥地紀行』、『極東の旅』として、平凡社東洋文庫に収録されているのだが、昨今の世界ツアー・ブームの中では話題にもならないようである)。

 夏目漱石が英国留学をした折りに持っていたはずのイギリスについての知識と較(くら)べてみると、ほぼ同時代の彼女が日本について持っていた知識の量は桁違いであったように思われる。彼女は日本の総人口(三四三五万八四〇四人)や人口密度(一平方マイルあたり約二三〇人)のことを知っていただけでなく、「アイヌが一万二〇〇〇人とヨーロッパ人・アメリカ人・中国人を合わせて約五〇〇〇人いる」とも書いている。彼女は、短期間ではあるものの、アイヌの人々と一緒に暮らして、その生活や文化についても報告しているのだ。この旅行記の核心部分はそこにこそあるだろう。そして訳注−−素晴らしい。全四巻となるこの旅行記は、我が国の翻訳史上の傑作となるはずである。(金坂清則訳注)
    −−「今週の本棚:富山太佳夫・評 『完訳 日本奥地紀行 1〜3』=イザベラ・バード著」、『毎日新聞』2012年12月23日(日)付。

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