覚え書:「【文化】田中正造没後100年 真の文明は人を殺さず=小松裕」、『聖教新聞』2013年01月08日(火)付。



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田中正造没後100年
真の文明は人を殺さず

小松裕

3・11最大の教訓
 2011年3月11日の東日本大震災東京電力福島第一原子力発電所の事故から2回目の新年を迎えました。いまなお、32万人もの人々が避難生活を続けています。仮設住宅にいつまでも住めるわけではありません。
 「復興格差」と言われはじめているように、被災地の復興にも早いところと遅いところとが生じているようですが、全体的に遅々として進んでいないといえるでしょう。
 復興が進まない被災地を見ていると、東北出身の私は、いたたまれない気持ちでいっぱいになります。
 3・11の最大の教訓は、人為は自然の力には勝てない、ということだと思います。人間の有限性に、私たちは、これまで以上に自覚的であることが求められています。
 このような観点から、自然との共生を求めた人物がいました。足尾銅山鉱毒事件の解決を求めて戦った田中正造です。正造は、衆議院議員として明治政府に鉱毒事件の根本的解決を10年もの間、訴え続けました。その後、国会議員を辞職して「ただの人」になってからも、生涯、鉱毒問題に取り組み続けたのです。

経験知が真理に結晶
 田中正造の自然と人間、自然と科学技術の関係についての思想が、もっともよくあらわれているのは治水論です。その前提には、自然の永遠の生命と比較したら人間の一生は一瞬にすぎないという有限性への自覚と、人間は万物の霊長でなくてもいい、奴隷でもいい、という自然に対する人間の優越性を否定する謙虚な人間観が存在していました。
 そのうえで、コンクリートで固めて川を閉じこめてしまおうという、明治中期から盛んになった近代的な治水法を否定し、川の自然力を信頼して蛇行させながら水の力を弱め、或程度の洪水は越水させることを前提に、自然の遊水池機能を持った土地を開発せずに残しておく伝統的な治水法をよしとしました。
 洪水時の水量を上回る高さの堤防を築いても、しょせんは水量と堤防の高さとの「いたちこっご」に終わるだけであり、それよりは水源地の山林を涵養(養成)したり、川床を浚渫(さらって土砂を除く)したりして、水量を少なくすることが重要であるといいます。ある程度の被害は受容するが、それ以上の被害は受けないように、自然と折り合いをつけながら共生していこうとする思想です。渡良瀬川沿岸の住民は、洪水と付き合うすべを熟知していました。とりわけ、下流域の谷中(現・栃木市)は3年に1回は洪水に見舞われる常襲地帯でしたが、鉱毒事件が発生する前は、肥沃な土を運んできてくれる洪水をむしろ歓迎していたのです。
 ところが、その谷中村は、鉱毒問題の「解決」のために遊水池にされてしまいます。戸数370余、人口2000人余りの大きな村が潰されてしまったのです。たくさんの人が住み慣れた故郷を離れ、各地に移住していきました。まさに、「国策」が生み出した難民です。そんな谷中村に、田中正造は一人で移り住み、買収を拒否して村に住み続けたわずかな残留民とともに、遊水池化に反対していきました。
 年老い田中正造にとって、それは大変な苦難の道でした。その苦闘の中で、正造は、民衆は知識はないかもしれないが知恵があるということに気づき、一方的に教えよう、聞かせようとするのではなく、民衆から学ぶ、聞く、教えを受けるという姿勢を樹立していきます。
 農民や漁民のように、長年自然と付き合い自然の産物を享受してきた人々は、観察と経験の積み重ねから学んだ「経験知」を持っている。それに先祖代々から伝えられてきた教えがある。それらが繰り返し反すうされて、「真理」ともいうべき知恵となって結晶化していることに気づいたのです。

自然がもたらす恵み
 先ほど述べた治水論も、渡良瀬川に注ぎ込む中小河川の上流部までくまなく歩き、沿岸住民の「経験知」に基づく知恵に学んだ結果でした。
 被災地の復興計画は、机上のものであってはいけません。田中正造のように、地元を歩き、たくさんの人々の声に耳を傾け、その知恵に学ぼうとする姿勢がなければ、地元の人たちが必要とする真の復興にはなりません。田中正造の言葉をかりれば、「被災地の復興なくして、日本の復興なし」なのです。これ以上、東北を苦しめてはならないのです。
 そして田中正造は、「自然公益の大益」といっています。自然がもたらす恵みは、誰もが享受できる大きな公共の利益だから、それを無駄ににしないことが重要だと強調します。太陽の光は、あらゆる生物を育むと同時に、エネルギーまで供給してくれます。いまこそ、グリーン・イノベーションが必要なのです。
 「真の文明は 山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし」
 本年は田中正造没後100年。田中正造のこの言葉に、私たちは真剣に学ぶ必要があるでしょう。(熊本大学教授)
こまつ・ひろし 1954年、山形県生まれ。博士(文学)。専攻は日本近代思想史。田中正造足尾銅山鉱毒事件の研究に取り組んできた。著書に『「いのち」と帝国日本』『真の文明は人を殺さず 田中正造の言葉に学ぶ明日の日本』(ともに小学館)などがある。
    −−「【文化】田中正造没後100年 真の文明は人を殺さず=小松裕」、『聖教新聞』2013年01月08日(火)付。

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