覚え書:「フランス組曲 [著]イレーヌ・ネミロフスキー [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年01月20日(日)付。




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フランス組曲 [著]イレーヌ・ネミロフスキー
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学専任講師)

■戦時下の人間描く一大絵巻

 1940年6月、ナチスドイツはフランスに侵攻する。フランス軍は敗走を重ね、パリをはじめとする北部はドイツ軍に占領される。道から溢(あふ)れ出すほどの避難民の波。パリの裕福なペリカン一家もその運命を免れえない。
 誰もが戦争に翻弄(ほんろう)される。独善的な芸術家とその愛人、衝撃的な死を遂げる神父、母の制止を振り切って志願兵となる若者、出征した息子の安否を気遣う心優しい銀行員の夫婦、重傷の兵士を献身的に看護する農民女性、地方の町を占領するドイツ軍の将校に淡い恋心を覚える美しい人妻、その陰険な姑(しゅうとめ)……。
 あらゆる社会階層の登場人物たちの運命が、ときに思いも寄らぬ形で交錯し、しかし喜びよりもはるかに悲痛の結び目を作りながら、そこに彼らから目を離せぬ読者の共感を織り込んでいく。個々の人物の心理の襞(ひだ)を緻密(ちみつ)になぞり、同時にきわめて視覚的で美しい文章は、戦時下のフランス社会そのものを描く〈一大絵巻〉と呼ぶにふさわしい。だが、2部からなる本書は未完の絵巻でもある。
 著者のネミロフスキーは、ロシア革命後フランスに移住した裕福なユダヤ人家庭に育った。占領下のフランスはナチスに協力して、外国籍のユダヤ人を検挙し、絶滅収容所に移送した。流行作家であった彼女もまたその例外ではなかった……。もし作家が生きていたら、本作は当初の構想通り、5部構成のさらなる大作になっていたはずだ。
 しかし、いまこの残された2部を我々が読めることだけでも奇蹟(きせき)に等しい。生き延びた娘が、母のトランクの底に眠っていた原稿ノートを発見し刊行したのは、作家の死から60年余りを経た2004年のことなのだから!
 本書は小説にして、希有(けう)な時代の証言でもある。作家は混乱と絶望のただ中で、自分が生きた社会のすべてを記録しようとしたのだ。ただ自身とその民族の運命を除いて。
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 野崎歓・平岡敦訳、白水社・3780円/Irene Nemirovsky 1903年キエフ生まれ、42年アウシュビッツで死去。
    −−「フランス組曲 [著]イレーヌ・ネミロフスキー [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年01月20日(日)付。

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フランス組曲
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イレーヌ ネミロフスキー
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