覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『記念碑に刻まれたドイツ』=松本彰・著」、『毎日新聞』2013年03月03日(日)付。




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今週の本棚:加藤陽子・評 『記念碑に刻まれたドイツ』=松本彰・著

毎日新聞 2013年03月03日 東京朝刊

 (東京大学出版会・6720円)
 ◇民族の存亡をかけた歴史の変転を問い直す

 葉かげから少しだけ陽(ひ)のさしている森をゆっくりと歩く人−−。本書を読み終え、眠りについて見た夢を、珍しいことに憶(おぼ)えていた。静かな夢で、もう一度眠り直したくなる心地良いものだった。森を歩く人の夢を見た理由は明らかで、本書244頁(ページ)に載せられたベルリン近郊ハルベにある「森の墓地」の写真に、評者の脳が反応したからだろう。

 ハルベは、第二次世界大戦の最終盤、首都ベルリンへと迫るソ連軍と、防衛するドイツ軍との間に激しい戦闘のあった場所である。戦後の冷戦下、「ファシズム軍国主義の犠牲者」への追悼を優先せざるをえなかった東ドイツにとって、対ソ戦で死んだドイツ軍将兵を公然と追悼することは憚(はばか)られた。だが一人の牧師の一念により、二万余の小さな墓石が森の地面を埋めつくすまでに整備が進むこととなった。

 こうして書いているすべてのことを教えてくれた本書は、戦争・革命・統一という三つの歴史事象を縦軸に配し、国民の集団的記憶の表れである記念碑とそこに刻まれた言葉を横軸に配し、ドイツの近代史を豊かに描いた。1870年から71年の独仏戦争での勝利を想起すれば、ドイツにとって国家統一が戦争と不可分であったとわかるし、1914年から18年の第一次世界大戦での敗北を想起すれば、ドイツにとって革命が戦争と不可分であったこともわかる。戦争・革命・統一の中核に位置したのは戦争であり、民族の存亡をかけた戦争は、集団の記憶として記念碑に刻まれることとなった。ここに著者の着眼の妙がある。

 ただ、戦争の記念碑が歴史認識の機微に触れるのは、追悼する対象、伝えようとするメッセージの内容が常に問われるからだろう。「第一次世界大戦戦没兵士栄誉の碑」を依頼された彫刻家バルラッハの例でいえば、彼の作成した天使のブロンズ像<漂う天使>はハンブルク市のギュストロウ大聖堂に飾られはしたが、ナチスや軍から強く批判された結果、1937年に像は撤去され、41年には破壊の憂き目にもあっている。



 38年の演説でヒトラーは「全ての健全なもののみが正しくかつ自然である。また、正しくかつ自然なものはすべて美しい」と断じた。ナチスの文化観に適さぬものは、バルラッハによる慰霊碑といえども破壊を免れることはできなかった時代。そのようなナチス全盛時代の記念碑の例としては、ハンブルク市にある<兵士の行進>碑が挙げられる。この碑には、労働者詩人レルシュの愛国詩「兵士の別れ」のリフレイン部分「ドイツは生きなければならない、たとえ我々が死ななければならないとしても」が刻まれた。

 このような、変転きわまりない歴史に正対しても著者はひるまない。その学問的真摯(しんし)さは、それぞれの時代の記念碑の特徴や雰囲気を正確に読者まで届けようとして配された200を優に超える写真の数々からも察せられよう。

 よく知られたように、戦争責任に対するドイツと日本の対応は異なっており、日本の対応がいまだ不十分なことは評者も自覚している。

 だが、日独の違いを嘆くだけでなく、両国で何故これほどの違いが生じたのか考えてみることも大事なのではないか。再軍備を早期に決断することで欧州に復帰したドイツと、平和憲法を抱いてアジア太平洋に復帰した日本と。両者の戦後思想の異なった軌跡をたどる際、記念碑をめぐるドイツ国内の相克と論争について本書が導いた知見と創見は、不可欠なものとなるはずだ。
    −−「今週の本棚:加藤陽子・評 『記念碑に刻まれたドイツ』=松本彰・著」、『毎日新聞』2013年03月03日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130303ddm015070038000c.html








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