覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『店員』=バーナード・マラマッド著」、『毎日新聞』2013年03月10日(日)付。





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今週の本棚:荒川洋治・評 『店員』=バーナード・マラマッド著
毎日新聞 2013年03月10日 東京朝刊

 (文遊社・2940円)

 ◇心の変化と発展を克明につづる名作

 アメリカ文学の新しい扉を開いたユダヤ系作家バーナード・マラマッド(一九一四−一九八六)の代表作。一九五七年の発表。日本では、三人の翻訳が出た。いずれも『アシスタント』(店員、の意味)。そのひとつ、新潮文庫版(加島祥造訳・一九七二)『アシスタント』四十一年ぶりの新版となる本書で、訳者は『店員』と題を変えた。ありそうで、ない。いい題だ。

 モリスは、ユダヤ系移民。ニューヨークの一角で小さな食料品店を営み、妻、娘と暮らす。

寒い日でも、モリスは、朝六時に店をあける。名前も知らない「ポーランド女」が、種なしのロールパンの半分(三セント)を買いに来るからだ。もう十五年も彼女は、この店でパンを買うのだ。

 向かいにできた新しい店に客をとられ、さらに貧しくなる暮らし。モリスは店をつづける。

 そこに、新しい「店員」が入る。以前この店で強盗をはたらいた青年フランク(イタリア系アメリカ人。孤児院で育った)が罪をつぐなう気持ちからだ。一家はそのことを知らない。

 青年は、モリスの娘ヘレンに思いを寄せる。「ぼくは悪いことをするときでさえ、善(よ)い人間なんだ」という。現に彼は、店の売上げをときどき「くすねて」いる。でもいつか店に返すつもりで、金額をこまめに記録する人でもある。善と悪、二つをもつ。そこに彼の苦難がある。ある日、罪を告白したフランクは、店を追われる。

 モリス夫妻、フランク、ヘレンの独白をはさみながら、彼らが人生への思いを変えて、とけあっていくようすを克明に、感動的に描く。

 「人間には奇妙なことがある−−人間は外見が同じに見えて、しかし変化している」というヘレンのことばは、一編全体をおおう。希望をひろげることばでもある。

 モリスの死後、この店に戻ったフランク。冒頭の場面と同じように、早朝、いつもの「ポーランド女」が、ロールパンを買いに来る……。フランクはかつてのモリスと同じ人生のなかに入る。店を守っていくのだ。心の変化と発展が静かに、鮮やかに記されていく。

 こまかいところが次々、読者におそいかかる。そういう作品でもある。贈物の場面も、そのひとつ。

 知りあってまもないころ、ヘレンは、フランクからもらった贈物を、せっかくだからもらっておけばよいのに、彼に返しに行く。翌朝、それはごみ缶に捨てられていた。それをヘレンはまた、彼にもっていく。「君はどっちのほうがほしい?」「あたし、本のほうにするわ」。子どもみたいな会話のあと、ヘレンは贈物をひとつだけ受け取ったりするのだ。

 これでよいのかという感じ。それぞれの人の、別の人への態度が、そろわないように、この小説はつくられている。平凡な直線をもたない。そこにおどろかされる。たびたびおどろき、こちらもあらためて、ラインを引き直すことに。小さいと思えたものが大きな波をつくる。読む人の視点が底をつくような、深みのある長編だ。

 店員は、どんな心の世界をもつのだろう。ひとつの役割を与えられる。日々工夫をする。知らない客とことばをかわす。数える。動く。過ごす。待つ。いつでも自分をもちながら、かたときも自分ではない。直線的になれないのだ。でもそこで生きる。新しい一日をつくりだす。人はどこかで、ひとりの店員なのかもしれない。誰もが親しみを感じる名作である。(加島祥造訳)
    −−「今週の本棚:荒川洋治・評 『店員』=バーナード・マラマッド著」、『毎日新聞』2013年03月10日(日)付。

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