近代天皇制国家のもつ、疑似宗教性への反撥のふたつの道





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 この事件には仏教徒のかかわりが目立つ。死刑となった内山愚童は、曹洞宗の住職であったし、無期懲役となった高木顕明は、真宗大谷派の住職であった。また、同じく無期懲役の峯尾節堂と佐々木道元は、峯尾が臨済宗の僧侶、佐々木が浄土真宗本願寺派末寺の出身であった。また、この事件に関連して家宅捜索を受けた人物のなかにも、二人の仏教徒がいた。一人は、毛利清雅で真言宗の住職、もう一人は、井上秀天、カルカッタ原始仏教を研究した経歴をもつ。死刑の求刑を受けた二四名中、四名が仏教徒であったのは、なぜか。単なる偶然であろうか。私には、それなりの必然があったように思われる。では、その必然性とはなにか。
 その前に、ぜひ言及しておきたいことがある。それは、幸徳秋水の遺著作『基督抹殺論』についてである。その序文には、この文章が、三畳一室の一点の火気もなく、鉄窓からもれる光をたよりに、病身をおして凍筆に息を吹きかけて書いた、自分の最後の文章であり、生前の遺稿であると、したためられている。執筆の開始は、捕縛以前であったが、彼がどのようにしてこのようなテーマのもとに、結果的には絶筆となった文章を書き記すことになったのであろうか。そこには、この事件に仏教徒が関与したことにも関係する、一つの磁場が存在していたように私には考えられる。
 その磁場とはなにか。それは、宗教的権威を人民に強制することで国家統合を推し進めようとする、近代天皇制国家のもつ、疑似宗教性への反発である。日本の近代国家建設に対する批判が、根源的であろうとすればするほど、それが政治的経済的レベルにとどまらないで、宗教の次元に踏みこまねばならなかった理由がここにある。国家のもつ疑似宗教性が必然的に呼び起こしてきた反発力が、この事件には作用しているのである。
 その反発力は、二つの方向をとった。ひとつは幸徳秋水の遺著に見られる、疑似宗教に対する科学的、歴史的批判であり、他は、内山、高木らに見られる、真実の宗教をもって疑似宗教を破る道であった。
    −−阿満利麿『宗教は国家を超えられるか』ちくま学芸文庫、2005年、225ー227頁。

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「今思へばげに彼もまた秋水の一味なりしと知るふしもあり」(石川啄木

大逆事件は、主として社会主義無政府主義の系列で論じられ、時の政府の主義者つぶしという評価が根強く存在するが、社会主義無政府主義者が抵抗しようとした対象については、宗教者の対峙する陣列もあったわけだから、そのへんのことを阿満さんの文章から冒頭で紹介させて頂きます。

日本の、日本教的な問題は……それが近代に由来するものであれ・プレ近代に由来するものであれ……基本的には天皇制に帰着します。もちろん、天皇を「奉る」連中にこそ問題がありますが、差別の構造としては歴然として存在する。この事実は否定することができない。

明治維新後の近代日本の歩みのなかで、もっとも大きなその問題とは何か−−。いくつもあるでしょうが、そのひとつは、いわずもがな、天皇が「象徴」する「国家」の宗教的権威とその強制の問題でしょう。

そもそも根拠もナニも存在するものではないから、インチキでこけおどしするしかない。だから神道=非宗教というカラクリをこしらえるしかない。

だから、まさに「疑似宗教」の発明・創造である。

さてと……そうした疑似宗教としての国家に対抗する陣列として大逆事件と捉え直すとすれば、その反撥は二つの方向性をまじえたもの。すなわち「ひとつは幸徳秋水の遺著に見られる、疑似宗教に対する科学的、歴史的批判であり、他は、内山、高木らに見られる、真実の宗教をもって疑似宗教を破る道」である。

幸徳のアプローチを世俗内・形而下からのそれとみるならば、「真実の宗教をもって疑似宗教を破る道」は世俗外・形而上からの批判とみることができます。

しかし、両者に共通することは何か。さきほど言ったとおり、根拠のない妄想のような想像という絡め取りに対して抵抗することである。

20世紀最大の神学者といってよいティリッヒは、ナチズムを経験するなかで、世界の諸宗教の最大の敵は、疑似宗教(quasi-religion)だと喝破した。

仮象にすぎない国家や制度を、しごく大事なものと奉ることのインチキさは、まさに宗教性を帯びたものであり、疑似宗教にほかならない。

とがって反社会的をきどれということではない。

しかしながら、社会に対して「一見」すると「調和的」だとか「ためになっている」とする良識の落とし穴に落ち込んでしまうと、大事なものを見失ってしまうかもしれない。

宗教とは共同体の紐帯として機能する側面が強いが、それを超克するものでもあったこと忘れてはならない。この国では、国家管理=公認教どやぃ!ということで安住する風潮がつよい、反社会性でいきがり、事件をおこすのは問題であることも承知しているし、どこの国の教会でも寺院でも、いざ戦争になれば、平和を祈るだけでなく「その国が勝つ!」ことを祈り出す。

しかし、宗教が普遍的な救済を「建前」(としてだけでも)「説く」のであれば、どこかで、特殊的な枠組みに対する「対峙」する「矜持」は併せ持つ必要があるのではないか。

そんなことを実感する。

大逆事件の検挙、そして死刑から1世紀以上すぎたが、風当たりは愈ゝ強くなっているのではあるまいか。

そんな気がします。

因みに幸徳秋水が死刑台に上ってから1年後(1912年)。国家に貢献を誓うことで国家からその存立を「認めます」という三教会同が行われる。







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