吾々は総ての人類を神の子として総ての人間に一個の神性を認め、固く基督に結んで居る。之れ程確実な人格主義の信念がまたと世にあらうか。


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 (4)最後に−−人格主義の高調
 同志社の日野真澄は「民本主義と基督教」のなかで、「基督教は民本主義の思想や政治の行はるゝ処に最も発達すべき性質を帯びて居る」と両者の深い関係を指摘して、民本主義の特徴とする次の三点は基督教の精神であると述べている。すなわち、
(1) 個人主義、キリストは何人であれ各個人は「無限の価値」をもつ存在であることを教えた。
(2)独立、個人には聖霊が良心のなかにあることを信じ、その良心にもとづく自治を根本とする。
(3)競争、保護される宗教ではなく、自由競争で腐敗を防ぐ精神。
 今日の言葉でいえば、神より与えられた「人間の尊厳」を認め、たがいに愛し合い尊重し合う精神こそデモクラシーの基礎になる、との意味であろう。
 吉野作造は、政治のみならず各方面において用いられ始めた「デモクラシー」という言葉に共通する本質として、それは一般に見られる「階級的反抗」でもなく、ただの「自由平等」や「公正」の観念だけでもなく、その根柢にある「人格主義」であると主張する。それを最も信仰の内容としているのもがキリスト教にほかならないとの主張である。

 「吾々は総ての人類を神の子として総ての人間に一個の神性を認め、固く基督に結んで居る。之れ程確実な人格主義の信念がまたと世にあらうか。故に基督教の信仰は夫れ自身、社会の各方面に現はれて直ちにデモクラシーとならざるを得ない訳である」

 吉野によれば「人格主義」は全ての人間に「神性」、「理想」が内在化していること、またそれ故に全ての人間が理想に向かって無限に発達することを信ずる主義である。そしてそれは吉野にとって理屈を超えたキリスト教の信念であり、そうであるからこそ、死ぬまでキリスト者であることを誇りに思っていたに違いない。
    --拙論「吉野作造の『神の国』 −−信仰の師・海老名弾正との対比から」、『東洋哲学研究所紀要』東洋哲学研究所、第二十一号、2005年、117−118頁。

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今から、ちょうど80年前の今日(1933年03月18日)、日本文化の否定的側面を根柢から覆すたたかいを死ぬまで果敢に挑み続けた、吉野作造博士がお亡くなりになった日です。

その年の1月ヒトラーがドイツの首相に就任、2月になると作家の小林多喜二が築地署で虐殺、その4日後に、国際連盟満州撤退勧告案が可決され、松岡代表が退場。月末には、ドイツ国会議事堂放火事件が発生しています。

吉野博士の亡くなる3月には、3日に昭和三陸地震も発生しています。

まさに暗雲が世界を覆い尽くそうとしたその時代。精一杯向かいあってきたのが吉野博士の歩みではないかと思います。

大正デモクラシーの機運を盛り上げた吉野博士の議論は、大正後期から、マルクス主義の影響が強くなると「古い」とみなされるようになります。

民本主義の退潮後、社会変革の論調は左翼思想がリードします。しかしながら度重なる一斉検挙は、活動の地下化を招き、現実に、社会をリードすることはできなくなってしまいます。

その時期においても、吉野の国家主義批判の舌鋒は揺るぎません。死の直前まで、人間の善性を信じ、それを涵養することを説き、それを共有していくシステムとしてのデモクラシーの構築を目ざしていく……。

この不断の挑戦と努力はなかなかできることではありません。大正デモクラシーといえば一口に「あだ花」的評価が強いものですが、それは、軽佻浮薄以外の何ものでもないでしょう。

吉野博士の思想を「古い」と一刀両断に退けるのは簡単です。しかし、それは大事な事柄を見逃すことも意味しています……信仰に根ざしたその思想と行動にこそ、今現在の変革のヒントが潜んでいますから。

吉野博士と向き合うことで、現在を照射することが可能になるの筈だと思います。
吉野博士の逝去から80年。私は、その考えと生き方をもう一度丁寧に振り返ることこそ、足下を掘り下げることであり、そこから創造的挑戦ができるというもの……私自身、吉野作造研究を始めて10余年。もう一度原点に立ち返り、その陣列に続きたいと思います。









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