覚え書:「今週の本棚:井波律子・評 『明日の友を数えれば』=常盤新平・著」、『毎日新聞』2013年03月17日(日)付。




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今週の本棚:井波律子・評 『明日の友を数えれば』=常盤新平・著
毎日新聞 2013年03月17日 東京朝刊

 (幻戯書房・2625円)

 ◇鮮やかな距離感覚に“生の軌跡”が浮かびあがる

 今年一月、八十一歳で亡くなった作家・翻訳家、常盤新平の最後のエッセイ集。二〇一二年まで、著者が七十代に著した長短とりまぜ六十九篇のエッセイを収める。

 米国の作家アーウィン・ショーの翻訳など、洒落(しゃれ)たイメージのつよい著者が、昔の友人との交遊、たまたまの出会い、父母兄弟のこと、川口松太郎木山捷平をはじめとする好きな作家のこと等々、心に浮かぶことにスポットを当てながら、老境のなかで推移する平穏な日常を綴(つづ)る。穏やかな語り口が心に沁(し)みる。

 平穏とはいうものの、その実、著者は活発に町歩きを楽しんで、昔ながらの雰囲気を保つ喫茶店で一休みし、時には友人と日帰り温泉旅行に繰り出すなど、たいへん活動的だ。友人や知り合いも多く、さらりと淡泊な筆致でみごとにそのイメージを描出している。

 とりわけ秀逸なのは女性、しかも高齢の女性の描き方だ。たとえば、「おばあさんの桜」の老女。著者が都心に仕事場をもっていたころ、公園の桜の木の下にたたずむ優雅な着物姿のおばあさんを見かけた。その上品な老女は近くで喫茶店を営んでおり、著者は彼女が淹(い)れるドリップ式のコーヒーをしばしば飲みに行くようになる。一篇の掌編小説のような味わいに富む話である。

 また、「おばあさんの鮨屋(すしや)」「年に一つ」に描かれる、脱サラをしておでん屋を営み、「あぶく銭、棚からぼた餅、果報は寝て待て」が好きだという愉快な友人と連れだって、八十を過ぎたおばあさんが握る鮨屋に通う話も面白い。おばあさんはいつも笑顔で「早くお迎えが来ないかと待ってるんですよう」と言いながら、せっせと鮨を握り、自転車で路地をかいくぐって出前に出かける。元気溌剌(はつらつ)とした、惚(ほ)れ惚(ぼ)れするほどイキのいいおばあさんだ。

 このほか、「朝食の楽しみ」には、飛騨の高山に旅し、早朝、おじいさんとおばあさんが営む喫茶店に入ったときのこと、夫婦かと思ったら、なんとおばあさんはマスターおじいさんのお母さんだったという、思わず笑ってしまう話も見える。

 高山のおばあさんのその後は不明だが、高齢の彼女たちはやがて静かに退場する。

 桜のように何やら妖しくも艶麗な喫茶店の老女は、病んで店を閉め、まもなく他界したという噂(うわさ)が流れる。鮨屋の活発な老女は老いの深まりにともなって、これまた店を閉め、引退してしまう。物哀(ものがな)しい結末である。

 本書に収められたエッセイの基調には、総じてこうした老いの哀しみ、あるいは有限の命の哀しみが、ひっそりと流れている。
 こうしてふと出会った人々に対してはむろんのこと、昔の友人たちとの交遊に対しても、著者の姿勢には一種、達観したような淡泊さがあり、「袖ふりあうも他生の縁」、「君子の交わりは淡きこと水の若(ごと)し」を地で行く感がある。鮮やかな距離感覚である。

 こうした距離感覚は、自分自身や肉親・家族のことを語るさいにもあらわれている。著者はけっして私事をことごとしく露(あら)わに語ろうとはしない。しかし、問わず語りというべきか、随所でさりげなく言及されており、本書をゆっくり読み進めると、断片的な叙述がおのずと繋(つな)がり結びついて、著者の生の軌跡や心の遍歴が浮かびあがってくる。

 手練の語り口で展開される、滋味あふれるエッセイ集だといえよう。
    −−「今週の本棚:井波律子・評 『明日の友を数えれば』=常盤新平・著」、『毎日新聞』2013年03月17日(日)付。

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