覚え書:「書評:『冬の旅』 辻原登著 評・角田光代」、『読売新聞』2013年03月24日(日)付。




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『冬の旅』 辻原登

評・角田光代(作家)
絶対的宿命の中の生


 不幸になろうと望む人はいない。目の前に二つの道があるとき、その先に幸福があると思えるほうを、人は選ぶ。――いや、そうなのだろうか? 私たちに選ぶことなど許されているのだろうか? この小説を読んでいると、わからなくなる。

 三十代の緒方が滋賀刑務所を出所するところから物語ははじまる。なぜ刑に服すことになったのか、彼の過去が断片的に語られていく。少年のころ出奔した父親、ひとりで緒方を育て上げた母。就職した飲食店の上司、性的倒錯者であるアルバイト学生、白鳥満。ある偶発的な事件をきっかけにそこをクビになった緒方の次の職場の宗教団体。神戸の震災のただなかで出会う、妻となる女性。登場する人々は、それぞれの背景をうかがわせながら、複雑に絡まり合う。バブル景気、阪神淡路大震災、不景気――彼らはまるで風に煽あおられる紙くずのごとく、時代と、時代が起こす偶然に翻弄され、出会い、別れ、求め、裏切られ、手に入れ、失い続ける。

 緒方はじめ、すべての登場人物の心理描写がいっさい描かれていない。だから読み手はなぜ彼らがそのときそのように決断し、そのように行動するのかわからない。しかしわからないことに強力な共感がある。そのように行動しない選択肢などなかったと思えてくるのである。

 やがて先の疑問が出る。私は意志によって何かを選んでいるのだろうか。昨日あの電車に乗ったこと、待ち合わせに遅れたこと、今日風邪をひいて発熱することは、選び取ったことなのか。私たちは紙くずのように時代のなかを運ばれていくことしか、できないのではないか。

 宿命というものの冷徹で絶対的な力を、この小説は巨大で精密なタペストリーのように立ち上がらせる。そうしてラスト、私たちははじめて緒方の心の声を聞く。宿命のなかでどう生きるべきか、私たちもまた、考えることになる。読中も読後も、ひたすらに圧倒された。

 ◇つじはら・のぼる=1945年、和歌山県生まれ。作家。著書に『枯葉の中の青い炎』『許されざる者』など。

 集英社 1600円
    −−「書評:『冬の旅』 辻原登著 評・角田光代」、『読売新聞』2013年03月24日(日)付。

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http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20130326-OYT8T00992.htm








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冬の旅
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