覚え書:「市民が共に統治する社会を ネグリ氏の民主主義観」、『朝日新聞』2013年04月09日(火)付。


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市民が共に統治する社会を ネグリ氏の民主主義観


 選挙制度や議会のあり方を巡る議論が盛んだ。背景には、選挙で民意を政治に反映できるという強い信頼がある。そんな中、「現代の代表制は民主主義を実現しない」と主張するのがイタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリ氏だ。国際文化会館日本学術会議の招きで初来日したネグリ氏に単独インタビューで真意を聞いた。
 ――代表制民主主義の何が問題なのですか。
 私が言う民主主義とは、自由、平等、すべての人の幸福を保障するシステムです。これに対して選挙を通じて現在、実現されているのは、結局は豊かな階層の人たちの意向。米国ウォール街の占拠運動が掲げた「私たちは99%だ」というメッセージがわかりやすい例だ。1%のための政治になってしまう。日本でも同様です。脱原発運動が広がり、世論調査を見ても多くの人が支持するのに、選挙の結果はそうならない。
 民主主義に不可欠なコミュニケーションもゆがめられている。例えば「原発をなくすと生活が立ちゆかなくなる」などと、国家は恐怖を植え付ける。
 ――ならば、政治家を選ぶのでなく、インターネットを使い政策ごとに投票して決めるのはどうですか。
 それはただの世論調査による政治。最近、イタリアでもそういう意味での直接民主主義的な手法を求める声が出ているが、解決方法ではない。民衆の意思と、その時々の要因に左右される世論とは違うものです。
 ――代議制もだめ、直接投票もだめというと……。
 私が提案しているのは、統治のかたちをコミュニケーションのあり方を通じて変えていくことです。
 17世紀オランダの哲学者スピノザの「絶対的民主主義」という考えが参考になる。彼は、代表制民主主義のように個人を孤立した一票の存在と捉えない。個人は、相互関係のネットワークの中に位置づけられる開かれた存在。そのすべてが代表される民主主義を考えた。私は、イタリアの刑務所にいた時、彼の本を読んでこの考えを知った。(著書で提唱している)「マルチチュード(多様な人々の群れ)」とはこうした結びつきを意味します。
 ホッブズに代表される一つの主権を持つ政府が多数の市民を支配するという考えではなく、多様な主体が国家と対立しながら現場で協働して統治にかかわっていく。こうした共同体的な方法が民主主義なのです。
 私は、富を共有するという意味で「共和国(コモンウェルス)」という考えに関心がある。そこでは普遍的な一つのルールが統治するのではなく、例えば個人の財産や権利のあり方も、自分たちで「共に」作り替えていくのです。
 ――現実に可能ですか。
 可能どころか、歴史はそう動いてきた。例えば、かつて南米諸国では、ソ連型の古い社会主義に対して、市民から自発的な民主化運動が広がった。原住民の権利回復や農民の土地獲得運動など、内容は様々。政府(ガバメント)という一つの権力による統治から、現場で協働した市民による統治(ガバナンス)へとはそういう意味です。
 私が提案するのは、国家の廃絶ではない。コミュニケーションのあり方を変えることで、私有財産や私的な権利を今とは違った位置づけにすること。参加と協働を基盤に、市民が「共に」統治する社会です。
 具体的にどうすべきかは、私は(哲学者であって)発明家ではないので答えられない。だが、世界は「帝国」の支配下で、明らかに国民国家の再組織化という方向に進んでいます。
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 Antonio Negri 1933年生まれ。欧州を代表する左派知識人。マルクススピノザの研究で知られる一方、労働者の自律運動にも深く関わる。78年のイタリアの元首相誘拐殺害事件に関与したとして逮捕、起訴されたが、83年に無実を主張してフランスに亡命。97年に帰国して刑に服した。
 2000年に共著で「〈帝国〉」を発表。グローバル企業やIMF国際通貨基金)などの国際機関、米国などが、国民国家を超える「帝国」とも呼ぶべき世界的な権力を作っているという見取り図を示した。
 こうした権力に対抗するものとして、多様な個人がつながった集まりを意味する「マルチチュード」を提唱した。ウォール街のオキュパイ運動の参加者たちが彼の本を手にしていたことでも知られる。
 ネグリ氏は08年にも来日予定があったが、過去に政治運動に絡み有罪判決を受けた経緯から日本政府からビザ申請を求められ、中止されたことがある。
    −−「市民が共に統治する社会を ネグリ氏の民主主義観」、『朝日新聞』2013年04月09日(火)付。

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http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201304080457.html





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