覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『文人荷風抄』=高橋英夫・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。




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今週の本棚:川本三郎・評 『文人荷風抄』=高橋英夫・著
毎日新聞 2013年05月26日 東京朝刊


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 (岩波書店・2625円)

 ◇晩年に寄り添った、もう一人のミューズ

 永井荷風への現代人の関心は尽きることがない。

 近年、実に多くの荷風本が書かれ、もう語り尽くされた感があると思われていたが、ここにまた新たに荷風愛惜の好随筆が加わった。

 荷風にはさまざまな特色がある。江戸の流れをくむ花柳小説作家、フランス世紀末文学の香りを持つ詩人、漢文学の素養のある儒教精神を持った雅人、そして東京の町を愛した散策の人。

 本書は荷風文人ととらえる。文字どおり文の人。現実社会から一歩身を引き、言葉の世界に生きる。読書と執筆に専念する。その読書も荷風の場合、多くは江戸の古書。

 著者は荷風をまず「曝書家(ばくしょか)」と呼ぶ(著者の造語)。漢籍や和書は書棚に横にして積み重ねる。埃(ほこり)がつもる。また和書には紙魚(しみ)がついたり、黴(かび)が生えたりする。そこで夏、土用の頃に本を虫干しする。これが曝書。本を家のあちこちに拡(ひろ)げる。本の大掃除である。

 大仕事だが、愛書家にとってはしばらく見なかった本を取り出して見る楽しみがある。例えば夏目漱石『門』では、主人公の宗助が若い頃、毎年、父親に本の虫干しの手伝いを言い付けられたことを懐かしく思い出している。古くから家にあった『江戸名所図会』や『江戸砂子(すなご)』を取り出して物珍しく眺めたという。

 曝書は過去との再会であり、文人にとっては新たな発見にもなる。荷風はこの曝書を夏の楽しみにした。日記『断腸亭日乗』にはしばしば「曝書」したことが記されている。「虫干」という随筆には「毎年一度の虫干ほど、なつかしいものはない」と書かれている。

 著者はこういう荷風を「曝書家」と呼び、古い本との再会、発見が荷風の執筆活動を豊かにしたと考える。「曝書家」は、やはり曝書を好んだ森鴎外にも通じるという。いわば曝書は文人のたしなみ。

 荷風は東京の町をよく歩き、また、江戸の文人たちの墓を訪ね歩いたが、同時に家のなかでする曝書も毎年欠かさなかった。散策、展墓と曝書。文人の真骨頂である。

 荷風は孤独だった。というより、孤独を愛した。二度の結婚は短期間で終わり、そのあと単身者として生きた。孤独な暮しは文人の清雅と静逸を支えた。

 しかし、老いを自覚した身には独り居はつらくもあったろう。しかも戦時下、物資が窮乏してゆくなかでの老いの暮しである。

 そんな時、一人の若い女性があらわれた。親子ほどに年齢が違う。荷風がこれまで付合ってきた芸者やカフェの女給、私娼(ししょう)のようなくろうと(、、、、)ではない。普通の女性である。

 阿部雪子という。著者は、これまで語られることの少なかったこの女性に着目する。

 『日乗』に阿部雪子がはじめて登場するのは太平洋戦争が厳しくなる昭和十八年二月十四日。「阿部雪子と云(い)ふ女より羊羹(ようかん)を貰(もら)ふ」

 この日から戦後の昭和三十一年四月二十二日まで五十回ほど登場する。晩年の荷風に静かに寄り添うこの女性は何者なのか。実は、荷風は彼女との関係を大事にしていたからこそ『日乗』に彼女のことを詳述していないと著者はいう。それだけに謎めいている。

 独り居の不便から荷風は時折り家事を手伝ってくれる女性を探していた。そこで知人から紹介されたのが阿部雪子だった。上野にあった国宝調査会というところで働いていた。知的女性である。はじめて会った時は二十代前半。荷風とは四十歳ほど離れている。

 無論、もう性的な関係はないだろう。そもそも明治人の荷風はくろうと(、、、、)とは遊んでもしろうと(、、、、)には手を出さない。『日乗』では「(余は)女好きなれど処女を犯したることなく又道ならぬ恋をなしたる事なし」と書いている。古風なモラルである。

 阿部雪子とはあくまで精神的なつながりだったろう。だから長く続いた。雪子にフランス語の素養があったことも大きい。荷風にとってフランス語の弟子でもあった。

 昭和二十七年の一日、荷風は雪子と東郊を散策した。その時に撮影された荒川放水路に架かる葛西橋の下に立つ二人の写真が掲載されているが、父娘のような幸せな様子がうかがえる(白いブラウスと長いスカートの雪子は「東京物語」の原節子に似ている)。

 雪子という名は『ボク東綺譚(ぼくとうきたん)』のミューズ、お雪を思い出させる。阿部雪子は晩年の荷風のもう一人のミューズだったのだろう。

 著者がいうように「文人とは本来人間的成熟と結びついたものだった」。成熟、円熟の果てに荷風はもう一人の雪子と出会ったのである。高橋英夫さん、よくぞこの女性に光を当ててくれた!

 晩年の荷風の数少ない年下の友人は、実業家で愛書家の相磯(あいそ)凌霜(りょうそう)。荷風を敬し続けた。その相磯が荷風の葬儀の時、一人の慎ましい女性が現れたと書いている。通夜にも葬式にも一人で来てひっそりと帰った。「(その)床(ゆか)しい後姿に、私は思わず眼頭を熱くしてしまった」。阿部雪子だった。    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『文人荷風抄』=高橋英夫・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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