書評:鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』岩波文庫、2013年。




鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』岩波文庫、読了。本書は小学校中退で国際的に活躍した東京帝大助教授(人類学)の自伝、1953年朝日新聞社刊行の初の文庫収録。

生涯の概要は以下に詳しい(徳島県鳥居龍蔵記念館)
→ http://www.torii-museum.tokushima-ec.ed.jp/denki.htm 

60年・400頁の記録は躍動的時代小説の如し。脇目もふらず一気に読んだ。

「私は学校卒業証書や肩書で生活しない。私は私自身を創り出したので、私一個人は私のみである」。鳥居は小学校を中退し独学自習の末、研究者へ。1875年に小学校全国設置の翌年の入学だが、学校嫌い=探究嫌いではない。「枠」が探究を塞ぐことを示す。

本書の前半は鳥居少年の軌跡、後半は、中国・蒙古、そして南島を東奔西走する調査冒険の記録。学校否定から始まった学問の探究は、学歴・肩書きとの対決(要はいじめ)の連続だ。無学歴で助教授まで登るも軋轢から辞職。しかし探究は倦むことを知らない。

しかし鳥居は歯牙にかけない。帝大を出なくとも数カ国語を操り、欧文で論文を書く。評価したのは先端の欧米だった。開国後、日本の国是は追いつけ・追い越せ。しかしその内実は、コピペと学界・学内政治。今も同じである。その軌跡は学ぶ意義と

鳥居龍蔵は確かに字義通り「学校嫌い」で、学校を出たという「権威」との闘いの連続だったが、「学校嫌い」イコール「探究」ぎらいではなかった点は留意すべき。そして探究(その補助としての知識の吸収を含め)に関して、学校という「枠」の用意したそれに準拠しなくても学ぶことはできる訳でもある。

鳥居龍蔵は語学の天才といってよい。自伝を読みつつ稀代の碩学井筒俊彦を想起せざるを得なかった。昨今、グローバル教育(なんじゃそりゃ)でTOEICの点数稼ぎドリルに狂奔しているけれども、手段に過ぎない語学の修得に関しても、短期的「益」を超えた好奇心こそ、その習熟の因になるなあと。







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