覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『荷風俳句集』=加藤郁乎・編」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。




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今週の本棚:持田叙子・評 『荷風俳句集』=加藤郁乎・編
毎日新聞 2013年06月09日 東京朝刊

 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (岩波文庫・987円)

 ◇小さく可憐な“文学カメラ”で捉えた日常

 永井荷風は歩くのが好き。町が好き。町のなかを流れる川や家々をいろどる樹、表通りをはずれて自分を思いがけない未知の場所へと連れてゆく小さな道を愛す。そして巷(ちまた)に立ちこめる人々のにぎわいを愛する。

 そんな人が真底もっとも好きだったのは、歩く背広のポケットに入る文学カメラといってもよい小さな可憐(かれん)な詩型、五七五の俳句だったのではないかなあと、本書を読んであらためて、しみじみと思いあたる。

 長大な日記『断腸亭日乗』のそこここには、日々の感慨としての俳句が記される。この小さな詩は彼の随筆や小説にも侵入する。とりわけ場末の遊廓(ゆうかく)のうらぶれた滅びの詩情をうたう小説『ボク東綺譚』にユニークに、荷風の手による街頭のスナップ写真と俳句のちりばめられることは、あざやかな印象をはなつ。

 それにしても余技の域をこえ、文学者としての彼のいのちにここまで俳句が絡みつくとは−−、荷風の八三六句を一気に並べる本書が問わず語りで示す命題である。彼の俳句が傑作か否かは別の問題として。

 荷風の句はそう凝らない。すなお、淡泊。古風な「や」「かな」をけっこう多用する。

三日月や代地(だいち)をぬけて柳橋

まつすぐな川筋(かはすぢ)いく里(り)日のみじか

葉ざくらや人に知られぬ昼あそび

 しかし本当にぴったり、ぶらぶら歩きやひそかなアソビのいうにいわれぬ情緒に、みずみずしい瞬間の発見の眼(め)をもつ俳句は。

 シングルをつらぬく荷風の日々の暮しにも、俳句はよく寄りそう。十代の頃からなじむこの詩型に安らいで、荷風はひとりの侘(わ)びしさ淋(さび)しさ楽しさをふっと呟(つぶや)き、ふっと笑う。

よせかけし竹の箒(はうき)にしぐれ哉(かな)

鍵穴をさぐる戸口や飛ぶ蛍(ほたる)

窓の燈やわが家うれしき夜の雪

ひとり居も馴(な)るればたのしかぶら汁

砂糖つけて食麺麭(パン)かじる夜長(よなが)哉

 いいなあ、どれもいいなあ……。まこと荷風は、日常の詩の発見者だ。そこには俳句カメラがよく機能していたのか! みずから料理し掃除する人だから、生活の細部に眼がゆき届く。詩人で主婦の彼は、何とこんな所まで見ている−−「初霜や物干竿(ものほしざお)の節(ふし)の上」。

 その他、秀句は多い。浮世絵をほうふつさせる季節の匂いゆたかな、「両国や船にも立てる鯉(こひ)のぼり」「縁日の遠き火影(ほかげ)やさつき川」「肌ぬぎのむすめうつくし心太(ところてん)」などは、荷風文学ファンにはたまらないだろう。

 俳句の他、荷風狂歌漢詩、江戸音曲詞章を集成する本書は、『俳人荷風』(岩波現代文庫)の著作を残して昨年逝去した加藤郁乎(いくや)氏の入魂の編集による。巻末の池澤一郎氏の「解題」は加藤氏の衣鉢を継ぎ、荷風文学の詩情に溶けこむ滋養としての俳句を説いて重厚、読み応えがある。

 それにつけても幕末明治生れの人々の、何と多表現、多言語的であることか。荷風のみならず鴎外や漱石も外国語に長(た)け、かつ漢文や日本の詩歌の教養を自然に身に付けていた。ことばや発想の引出しがゆたか。硬軟自在。

 ゆたかなことばや発想は、人を自由にする。荷風について言えば核としてのロマンチストにとどまらず、ある時は漢文のレトリックを刀として世相を斬り、ある時は誹諧(はいかい)精神にて近代が忘れた笑いや自虐の系譜を回復した。

 自虐とは自己客観化。<文豪>という裸の王様になんかならず、ナサケナイ自分を笑いつづけた点にこそ、荷風の知の豪奢(ごうしゃ)がかがやく−−「飯粒(めしつぶ)をはがすや古き足袋(たび)の裏」。
    −−「今週の本棚:持田叙子・評 『荷風俳句集』=加藤郁乎・編」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130609ddm015070032000c.html



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