覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『周五郎伝−虚空巡礼』=齋藤愼爾・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。




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今週の本棚:川本三郎・評 『周五郎伝−虚空巡礼』=齋藤愼爾・著
毎日新聞 2013年06月30日 東京朝刊

 (白水社・3570円)

 ◇「苦労人の文学」が秘める豊かな慰藉の力

 純文学と大衆文学が画然とわかれていた時代があった。その時代は、文壇では川端康成志賀直哉谷崎潤一郎ら純文学の作家がはなやかな「正月作家」とすれば、大衆文学の山本周五郎は地味な「歳末作家」と低く見られていた。

 周五郎研究の第一人者、亡き木村久邇典(くにのり)はかつてそう言った。いまはもうそんな区分はない。いい文学かそうでないか。それだけだ。

 齋藤愼爾(しんじ)氏は俳人であり、すぐれた編集者であり、吉本隆明を敬愛する「六〇年安保世代」であり、どちらかと言えば純文学畑の批評家と思われていた。それが二〇〇九年に『ひばり伝 蒼穹流謫(そうきゅうるたく)』を出し世を驚かせた。そして今度は山本周五郎

 やはり驚く。とはいえ年季が入っている。周五郎をはじめて読んだのは六〇年安保闘争後のいわゆる挫折の季節だったという。失恋も重なり人生最悪の時期に周五郎に出会い、「私は救われたのである」。

 周五郎は、映画評論家の佐藤忠男の言葉を借りれば「苦労人の文学」。それだけに敗れた者、苦しんでいる者を慰藉(いしゃ)する豊かな力がある。

 周五郎の有名な言葉がある。自分は「慶長五年」の何月何日に大阪城で何があったかより、その日、大阪の道修(どしょう)町の商家の丁稚(でっち)が、どんな悲しい思いをしていたかを書きたい。

 齋藤氏はこの「五年」に着目する。周五郎は「五年」に特別の意味をこめた筈だ。なぜなら「大正五年」こそ少年の周五郎が質屋に奉公した年だから。核心を衝(つ)いている。

 『樅(もみ)ノ木は残った』『青べか物語』、あるいは直木賞に推されながら辞退した『小説日本婦道記』などよく知られた作品もさることながら齋藤氏は初期の「小さいミケル」という少女小説にも目を配る。貧しい家の子供が池に落ちた小犬を助けようとして死んでしまう。梗概(こうがい)を読むだけでホロリとする。無名時代にすでに子供の悲しみを描いていた。

 厖大(ぼうだい)な資料を駆使した評伝で、周五郎は神奈川の名門、県立横浜第一中学に入学したのか、途中で退学せざるを得なかったのか、といった細部も詳述する。あるいは若き日の、質屋の娘へ抱いた淡い恋心。

 さらには、父親の葬儀の時、香典を全部持って行ってしまい親族の顰蹙(ひんしゅく)を買ったという奇矯(ききょう)なふるまいにも触れている。質屋に奉公に出した父親に対する怒りがあったのかもしれない。怒りは同時に悲しみでもあったろう。

 周五郎に対する厳しい目もある。とくに戦時中、一般には軍部に協力しなかったとされているが、はたしてそうかと疑義を呈するところなど考えさせる。

 評伝は伝記の部分と、作品論がうまく溶け合っていなければならない。作品論の圧巻は『柳橋物語』を論じた章。

 江戸の町娘おせんは、上方へ修業に出た庄吉と好き合い、その帰りをひたすら待つ。そのあいだに、もう一人の幼馴染(なじみ)幸太に想(おも)いを寄せられる。おせんは幸太を拒絶する。江戸の町が大火になった夜、その幸太がおせんを助けに来る。そして彼女を助けたあとに死んでゆく。自己犠牲の物語である。

 『柳橋物語』を「恋愛小説の傑作」と評価する齋藤氏の筆は熱く、最後にはこうまで書く。「私は『愛するものに拒絶されたら死なねばならぬ』と信じている節がある。そうした人間には、周五郎文学は大いなる慰藉として在る」。私的な思いがこもっている。

 『柳橋物語』は大火をクライマックスに置いているが、周五郎作品には天変地異が多いという指摘は3・11のあとには重要だろう。齋藤氏は思いを新たにして読んでいる。周五郎は幼少時に山津波で祖父母を失なっているだけではなく、質屋奉公時代には関東大震災に遭遇している。戦時中は癌(がん)に苦しむ最初の奥さんを背負って防空壕(ごう)に逃げたこともある。周五郎にとって作品とは悲しみの総和だった。

 長編小説のほか「おさん」「その木戸を通って」といった小品が好きだというのは渋い。ちなみに「おさん」は田坂具隆監督、「その木戸を通って」は市川崑監督によって映画化されている。

 齋藤氏はこれまで周五郎について書かれたいくたの本にきちんと目を通している。その博覧には驚嘆する。周五郎論集成の観がある。

 とりわけ亡き文芸評論家の奥野健男、児童文学者の上野瞭、歴史家の渡辺京二が何度も援用される。

 また佐藤忠男が高く評価されているのが注目される。佐藤氏こそ大衆文学が低く見られていた時代に名著『長谷川伸論』や『苦労人の文学』などで、純文学と大衆文学の垣根を取払った先駆者なのだから。齋藤氏は周五郎を論じながら先行する研究に敬意を払っている。

 氏の筆はとどまるところを知らない。若き日の周五郎が読んだ本にはイギリスの作家ゴールズワージーがあった。この作家の『フォーサイト年代記』は美智子皇后の大学卒論のテーマである。こうした余談も楽しい。書き下ろしの力作。
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