社会を批判的にまなざす「力」




金曜日の授業にて、哲学の講座は残り1回になりました。

最初の授業から口をすっぱく言っているのですが、本来、大学での学問、なかんずく教養教育とは、例えばそれが外国語を学習するものであったとしても、何かそれは社会の要請に応えるという名の馴化としてあるべきではなく、社会を批判的にまなざす「力」を養うものであるはずだから、徹底的に、俗流プラグマティズムに陥ってはいけないと考えています。

だから、哲学や倫理学を学習するといっても、それは、誰が何をいったかとか、どこに何が書かれているのか、というコピポbotになるのではなくして、そういう考えに耳を傾けながら、自分ではどう考えるのかということが肝要になってくるのではないかと思います。

勿論、コピペbotになるといっても、それはローティがいうように、鏡に映し出すように正確に記述することは、先験的に不可能でありますし、「自分で考える」といっても、無から何かを創造するなんてことはできません。

だから、今、生きている現代の私として、古典と対話するしかありません。

残り1回ですが、そういうひとときになるように配慮しましたが、これは、哲学や倫理学といった講座に限られた問題ではありませんので、「グローバル〜」だとか「意識の高い〜」といった鳴り物入りの現在の流行に左右されることなく、力を養い続けてほしいなと思います。

ともあれ、7月からもの凄い猛暑。

あと1回ですが、干からびないようにがんばるしかないですね。











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