書評:佐々木俊尚『レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる』NHK出版新書、2013年。

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 金融市場、宗教団体、民族組織、テロリスト、ボランティア活動、自然保護運動、展覧会、国際イベント、ファッション、アートなどさまざまな分野でさまざな人たちや団体がそれぞれにレイヤーをつくり、そこで活動していくでしょう。
 そしてそれらのレイヤーは国境と必ずしも一致するわけではありません。いや、一致しないことのほうが多いのです。
 インド人という存在は、「インド亜大陸の三角形の国土に住んでいる人たち」ではありません。それは単なる国境のレイヤーを語っているだけです。
 インドにはたくさんの民族が同居していて、たくさんの言語も使われています。だから民族のレイヤーや言語のレイヤーは、国境のレイヤーとは重なりません。
 政治のレイヤーも同じで、先ほども書いたように世界中に散らばっているインド人たちがインドの政治に参加するようになってきているなかで、政治のレイヤーは国境よりもずっと広く、世界を覆うぐらいの面積になってしまいます。
 では「インド人」とは、どう定義されるのでしょうか?
 もちろん、法的にはインドの国籍を持っている人がインド人です。しかしそれは単なる「国籍のレイヤー」にすぎません。インドの国籍を何かの理由で捨て、母国から遠く離れたどこかに住んでいるけれども、インド人としての自負を持っている人もきっといるでしょう。そういう人にとっては「インド国籍がインド人」と定義されることには抵抗があるかもしれません。
 では厳密に言えば、インド人とは何なのでしょうか?
 それは、先に挙げたようなさまざまなインドのレイヤーの重なりにある、それぞれのレイヤーを貫いて光が通っている。そういうプリズムの光が、インド人だということなのである。
 あいまいない感じるかもしれません。でも国民国家というウチとソトを分ける考えが消滅した先では、国や民族というのはそのようなあいまいさのなかにしか存在しないことなのです。
 レイヤーが幾重にも重なり、その重なったところに私たちはプリズムの光として立っている。そういう私たちの集合体で、世界はできているのです。
    −−佐々木俊尚『レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる』NHK出版新書、2013年、244−245頁。

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佐々木俊尚『レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる』NHK出版、読了。メディアの先端を歩き続けた著者が次の時代を予見する文明論。世界帝国から国民国家へシフトすることで繁栄した現代。キーはウチとソトだが、今や機能不全。レイヤーが人と世界を変えていくのでは著者は読む

植民地も非植民地もどこかでソトを利用してウチの充足を図ることで「発展」してきたのが20世紀。しかしウチとソトの境界はあいまになりつつあるのが現在。あらゆるものが分散化する世界では、相関性を欠如した自足的社会モデルでは対処不可能だろう。

国民国家と民主主義と経済成長という二十世紀を支えた三つの連携が終わろうとしている。代わりに台頭するのが、グーグルのような超国籍企業が作る「場」(レイヤー)である。レイヤー化した世界で私たちは「プリズムの光の帯になっていく」。

著者は民主主義や既存の制度を単純に全否定しようとするのではない。既存の制度そものもの一つのレイヤーであったことを我々は自覚していなかったのではないか。著者は「気づく」ことから始まるという。先ずは自覚から始め固陋を落としていくほかない。

本書に冷ややかな評価が多いがやや早計か。10代の読者を想定し書き下ろされた本書は、近代という世界システムを平易に解説する一冊だ。デジタルプラットフォームやオルタナティブに対する楽天性は否めないが文明の明日を考える一つの出発点になる。






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