覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』=ジョン・ガートナー著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。




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今週の本棚:中村桂子・評 『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』=ジョン・ガートナー著
毎日新聞 2013年07月21日 東京朝刊


 (文藝春秋・2520円)

 ◇情報革命の礎を築いた「驚異の組織」の秘密

 ビル・ゲイツが「タイムマシンに乗ることがあったら、最初に降りるのは一九四七年一二月のベル研究所だ」と言った。この時この場でトランジスタの他、通信衛星光ファイバーなど情報通信に関わる驚異的な発明が立て続けに生まれたからだ。

 米国政府公認の独占電話事業者AT&Tは一九〇〇年代初頭に「ユニバーサル・コネクティビティ」という壮大な構想を掲げた。その結果生まれた携帯電話やインターネットを日常としている私たちに、「われわれは今、ベル研究所と同じように、未来の経済の土台となるような科学的基礎を築いているだろうか。半世紀前の人々が困難に挑み、生み出したアイデアの配当で食いつないでいるだけではないだろうか」と問うために、著者はその業績を振り返る。

 AT&Tが一九二五年発足させたこの研究所はノーベル賞受賞者を一三人も輩出し、イノベーションの手本となった。そこでの主役は技術者ではなく科学者だった。基礎から応用までの自由度を与えられた研究者が三〇〇人、その対象は「物理化学、有機化学、冶金(やきん)学、磁気学、電気伝導、放射、電子工学、音響学、音声学、光学、数学、力学、さらには生理学、心理学、気象学」とほぼ何でもありだ。ただし目標は「コミュニケーション」である。創業時に入所し最後までリーダーとして活躍したマービン・ケリーが「新しい現象の発見、新しい製品や製造技術の開発、新たな市場の創造をすべて融合させたものでなければイノベーションとは言えない」という基本姿勢を示す。

 固体材料での増幅器への挑戦は、ゲルマニウムかシリコンかというところから始まり、小型で能力の高いトランジスタを完成していく一方、それに関わった一人ショックレーは、『半導体物理学』を著す。学問も作ったのだ。天才クロード・シャノンは、情報を「0」と「1」に置き換え、ノイズのある中で完璧に情報を送るには余分な情報を追加すればよいという衝撃的主張をした。トランジスタは他でも作れたかもしれないが、情報理論という一分野の創設と完成はシャノンにしかできなかったと言われている。

 原子爆弾トランジスタは三年のずれで生まれており、ベル研は軍に求められてレーダーも開発している。戦争は発明の母という事実など人間の負の面ももちろんここにはある。

 それはともかく、情報社会の基本がすべて一研究所から生まれるという驚くべきことが起きたのだが、AT&Tは独占企業であり特許取得は許されず、技術は模倣され、独占は崩れていった。しかも新しい「問題」はなかなか見つからず研究所は規模縮小することになる。「巨人の終焉(しゅうえん)」だ。もちろん、成果はグーグルやアップルに受け継がれている。しかしこれが真のイノベーションかという問いがある。「もはや企業にとり自由な研究に投資する合理性も必要性もなくなった」という分析もある。近視眼的経営で野心的研究が少ないのが今なのである。第二のベル研はあるかという問いに、著者はエネルギーや生物医学などであり得るかもしれないと言っているが、わからない。

 「ベル研究所のスターたちには組織の本質が凝縮されている」。組織か個人かではなく、才能と個性ある個人あっての組織、その人たちが活躍できる環境をもつ組織あっての個人なのだ。イノベーションはかけ声とお金だけでは進まない。主要な研究者とその仕事、人間関係が詳述されているので、そこから何かを探せそうだ。(土方奈美訳)
    −−「今週の本棚:中村桂子・評 『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』=ジョン・ガートナー著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130721ddm015070039000c.html




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