覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『幸福の経済学−人々を豊かにするものは何か』『「幸せ」の経済学』」、『毎日新聞』2013年08月25日 東京朝刊(日)付。

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今週の本棚:中村達也・評 『幸福の経済学−人々を豊かにするものは何か』『「幸せ」の経済学』

毎日新聞 2013年08月25日 東京朝刊

 ◆『幸福の経済学−人々を豊かにするものは何か』=C・グラハム著、多田洋介訳(日本経済新聞出版社・2100円)

 ◆『「幸せ」の経済学』=橘木俊詔・著(岩波現代全書・1785円)
 ◇生活満足度をめぐる本格的探究に向けて

 多分、この一年だけでも、幸福や幸せがタイトルに入った本は、一〇冊を超えるのではなかろうか。とりわけ目に付くのが、経済との関係を扱ったもの。おそらくは、経済が幸福や幸せを後押しする力が弱まってきていることの反映でもあろうか。それでいて、経済成長を求める動きは、いっこうに止(や)む気配がない。与野党を問わず、競って「成長戦略」をスローガンに掲げてきたのは周知のところ。

 「無限の経済成長が可能であると考えているのは、狂人か経済学者くらいのもの」。半世紀ほど前に、K・ボールディングがこう言い切っていた。サルコジ仏大統領(当時)の肝いりで、ノーベル賞学者を動員して立ち上げた委員会の報告書『生活の間違った計測』(二〇一〇年)では、GDP偏重を脱した新たな指標作りを提案して関心を呼んだ。そうした文脈で両著を読むと、なるほどと合点がゆく。

 グラハム著は、先進諸国だけでなく、中南米キューバ、旧社会主義圏、アフリカ、アフガニスタン等、分析対象が地球大に及ぶ。そして、経済発展の遅れている途上国の幸福度や生活満足度が、予想外に高いのとは対照的に、先進諸国のそれが低いことが示される。そこで著者が注目するのが「適応」と「期待」。例えばアフガニスタンのような厳しい経済状況の下では、人々はそうした状況に「適応」することでかろうじて生活を維持する他ないし、「期待」する生活水準そのものが低いために、幸福度や生活満足度は概して高い。先進諸国は、ちょうどこれとは逆。だからといって、低い所得水準が是認されるわけではない。質問を、「考えられる様々な生活水準の中であなたの生活水準はどの程度ですか」に替えると、はるかに低い数値の回答が返ってくるという。

 橘木著のブータン分析もこれと関連する。二〇〇五年度の国勢調査で国民の九七%が幸福だと回答したブータンだが、二〇一〇年の幸福度調査ではそれが半分以下にまで低下した。もちろん、調査手法が異なることも一因ではあろうが、著者によれば、インターネットなど情報の入手が容易になるにつれて、国民が自国の状況を他国と比較できるようになって、「期待」水準そのものが高まったために、それと現実とのギャップが幸福度の低下となって表れたのではないのか、と。


 単身者よりも既婚者の、男性よりも女性の幸福度が高いこともほぼ世界共通。さらに、若年層の幸福度が高く、年齢を重ねるにつれてそれが低下し、四〇代、五〇代で最低となり、その後は次第に幸福度が上昇する、U字型カーブを描くことも、ほぼ世界中で確認されている。

 ただし、橘木著では、二〇代後半と三〇代の幸福度が低く、この世代の雇用と労働をめぐる日本の状況が厳しいことが指摘される。

 ところで、大竹文雄他『日本の幸福度』(日本評論社、二〇一〇年)によれば、二〇代の比較的高い幸福度から始まり、三〇代で幸福度のピークを迎え、その後、下降線をたどる、いわば逆V字型が指摘されているし、内閣府国民生活白書』(二〇〇八年)によれば、二〇歳頃から年齢を重ねるにつれて幸福度が低下し、中年・熟年頃に底を迎え、それ以降は幸福度が上昇することなく低水準の状態が続く変形L字型を描くという。日本だけが世界の標準と異なるのは果たしてなぜなのか、決着はまだついていない。幸福の経済学は、ようやくスタートラインを離れたようである。
    −−「今週の本棚:中村達也・評 『幸福の経済学−人々を豊かにするものは何か』『「幸せ」の経済学』」、『毎日新聞』2013年08月25日 東京朝刊(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130825ddm015070032000c.html




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