覚え書:「論点 [国のために死ぬこと] 黙する死者と向き合う=若松英輔」、『毎日新聞』2013年10月18日(金)付。


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論点
[国のために死ぬこと]

 靖国神社は昨日から秋の例大祭安倍晋三首相は言う。
 「国のために戦って命を落とした人たちに尊崇の念を表すのは当然。欧米各国でも行われている自然な国家儀礼で、非難されるいわれはない」
 耳になじんだこの説明を、歴史とこころの基点から、問い直してみる。【構成・伊藤智永

黙する死者と向き合う
若松英輔 批評家 「三田文学」編集長

 戦争で亡くなるのは、戦場に赴いた人ばかりではない。先の大戦下の日本でも、空襲や原爆、あるいは侵略によって多くの非戦闘員が死なねばならなかった。ドイツのユダヤ人のように自国によって命を奪われる他民族もいた。今、内戦下のシリアでは、国家が特定の地域に暮らす人々を無差別的に殺している。
 どんな死を迎えたとしても、死は、常に個の出来事である。紛争は国家が行うが、死ぬのはいつも個である。死は何者によっても代替され得ない。どんな状況下であったとしても一個の死は、「国家のため」という枠組みには収まらない事実であり続ける。
 人間である根源性を「人格」という。人格は万人に生来的に平等に付与されており、思想信条、宗教、あるいは社会的業績などに先だって人間存在の根本を規定する。死はいつも、政治的見解を超え、人格的に受け止められることを求める。人格の尊厳は死者においても守られなくてはならない。尊厳は法に先立つ。
 「英霊」という言葉がある。この一語は日本ではおもに、戦争で亡くなった人を指す。だが、原意は違った。漢字学者・白川静によると、「英」は、植物に由来することを示す草冠と「央」の文字で表されているように美しい花が原形で、どこまでも優れているさまを指す。「霊」は「魂」を表す言葉で、「御霊」と書いて「みたま」と読む。英霊と意味を同じくする「英魂」という表現もある。「英霊」はもともと、優れた人物と畏怖を感じさせる霊魂、霊気を意味していた。由来は古く、唐の時代の中国ですでに詩文で用いられている。「英霊」は、主として生者の様子を示す言葉だった。言葉はしばしば、時代を支配する精神のうねりの中、独特の意味を帯びる。戦争を繰り返す近代日本で「英霊」は、戦没者を指す言葉になった。
 戦場で亡くなった人々は、どこまでも貴ばれなくてはならない。だが、同じく、戦場以外で亡くなった戦没者もまた、どこまでも深き畏敬の念をもって遇されるべき存在である。シベリア抑留の経験をもつ詩人・石川吉郎が、次のように書いている。
 「広島告発について私が考えるもうひとつの疑念は、告発する側はついに死者ではないという事実である。被爆者不在といわれてすでに久しいが、被爆者以前にすでに、死者が不在となっている事実をどうするのか。死者に代わって告発するのだというかもしれない。だが、『死者に代わる』という不遜をだれがゆるしたのか。死者に生者がなり代わるという発送は、死者をとむらう途すら心得ぬ最大の頽廃である」(「三つの集約」)
 「広島告発」とは、原爆で亡くなった人に代わって、原爆投下を告発することを指す。だが、真に「告発」し得るのは、もっとも苦しみ、死者となった者だけではないのか、と石原は言う。「告発」は死者によってのみ行われ得る。生者は、けっして死者の声を代弁することはできない。
 死者は沈黙する。生者は、死者がもたらす静寂に耐えなくてはならない。だが、言葉を語らない死者と向き合うことで生者は、自分たちには決してかいま見ることができない「語れざる真実」があることを知る。死は、生者の認識、生者の価値観には、決して還元され得ない。死は、生者の解釈を拒む。死は、死者固有の経験である。(寄稿)
わかまつ・えいすけ 1968年生まれ。慶応大文学部卒。著書に「井筒俊彦 叡知の哲学」「魂にふれる 大震災と、生きている死者」「死者との対話」「神秘の夜の旅」など。
    −−「論点 [国のために死ぬこと] 黙する死者と向き合う=若松英輔」、『毎日新聞』2013年10月18日(金)付。

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