日記:戦時下の国民は、軍部に強制されて戦争に協力するほかなかったのか。そうではなかった。

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 戦時下の国民は、軍部に強制されて戦争に協力するほかなかったのか。そうではなかった。それが証拠に斉藤は、二年後の翼賛選挙において、非推薦の候補ながら、兵庫五区からトップ当選を果たしている。斉藤は軍部の政治介入よりも政党の「無気力」をより強く批判する。翼賛体制を招いたのは、斉藤を支持し続けたような民意を受け止めきれない政党の「無気力」だった。
 国民の意思はすでに一九三七年四月三〇日の総選挙の結果が示していた。第一党は議席を減らしながらも民政党であり、引き続き無産政党が躍進した。国民が求め続けたのは、格差の是正をとおして平等な社会を実現する社会民主主義的な改革だった。政民の二大政党は、改革志向の国民の期待に応えることができなかった。
 代わりに軍部が無産政党の協力を得て、国家社会主義体制のなかに国民の意思を吸収していく。この体制が軍部独裁に見えなかったのは、近衛文麿首相が主導したからである。
 国民は高貴な出自の近衛に腐敗した政党政治と軍部独裁からの救済を求めた。しかしすべての政治勢力と大多数の国民の支持を得ながら、近衛は戦争の拡大を回避できなかった。大衆民主主義は大衆迎合主義に陥りやすい。私たちはカリスマ的な指導者よりも政策の実行力がある首相をもとめるべきであろう。
 二大政党は自ら解党してまでも、近衛新党に参画しようとした。しかし近衛新党ではなく、大政翼賛会が成立する。大政翼賛会は体制統合の主体になることができず、急速に形骸化していく。近衛は政権を投げ出す。ほどなくして日米戦争が始まる。四年後、帝国日本は敗北する。
    −−井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書、2012年、244−245頁。

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靖国神社参拝をめぐる国内・国外における反対論の根拠の一つが、A級戦犯の合祀であり、愚かな指導者が戦争を引き起こし、そしてそれを止めることができず、日本人のみならずアジア諸国の人々に甚大な被害を蒙らせたことは否定しがたい事実ではあります。

しかし、そのことによって隠されてしまう問題というのもあるのではないかと思います。それは全ての責任がA級戦犯に押しつけられてしまうことによって、個々の日本人の責任がスルーされてしまうという現象ではないかと思います。

確かにA級戦犯の犯罪性を否定することはできません。しかし、それと同時に考えなければならないのは「戦時下の国民は、軍部に強制されて戦争に協力するほかなかったのか。そうではなかった」ということ。

ここを失念してしまうと足下をすくわれてしまいますよ、という話しです。



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