覚え書:「今週の本棚:張競・評 『辺境から訪れる愛の物語 沈従文小説選』=沈従文・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。


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今週の本棚:張競・評 『辺境から訪れる愛の物語 沈従文小説選』=沈従文・著
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 ◇『辺境から訪れる愛の物語 沈従文(しんじゅうぶん)小説選』

 (勉誠出版・2940円)

 ◇水彩画のように描かれた異なる習俗の恋

 近代中国の小説家といえば、まず思い出されるのは魯迅であろう。茅盾(ぼうじゅん)や老舎(ろうしゃ)もある程度知られている。しかし、沈従文となると、ほとんど無名に近い。専門家をのぞいて、ふつう読まれることもない。一般読者だけでなく、堀田善衛のように戦前、上海に長期滞在し、中国文学にかなり興味のある作家でも沈従文に言及したことはないらしい。

 この作家は本国でも長いあいだ忘却の彼方(かなた)にあった。文化大革命が終了したあと、ようやく見直され、作品も再刊されるようになった。それも欧米での再評価を受けてからの動きである。

 日本ではこれまでいくつかの翻訳が出版されているが、ほとんどのものは刊行されてから四十年以上も経(た)っている。作品研究や版本の校勘がまだ進んでいなかったため、誤訳も散見される。本書の訳者は長年、沈従文研究に携わっており、近年の研究成果を生かして、最新の訳を世に問うた。代表作『辺境の町』や短編集『月下小景』のほか、九〇年代になって全容が明らかになった『虹』なども収録されている。

 一九〇二年生まれの沈従文は不運な作家である。左翼文学が幅を利かせていたこともあって、作家活動の最盛期には異端視され、不当な攻撃を受けていた。社会主義中国になってから、「政治に奉仕する」文学が求められ、小説を創作する権利は事実上剥奪された。三十年の空白期を経て、文革後に復活したものの、長い中断と高齢のため、新しい創作を断念せざるをえなかった。

 筆者は文革後にはじめて沈従文の代表作『辺境の町』を読んだ。稲妻が脳幹部を貫通したような衝撃はいまも忘れない。音楽のような美しい言葉といい、繊細な風景描写といい、情趣に富んだ民風(みんぷう)の素描といい、どれ一つを取ってみても、それまで読んだ小説にないものばかりである。何しろ多感な青春期。読書歴の偏った青年は感動しないはずはない。

 武田泰淳はかつて中国の近代文学について、「政治的な思想だけが堆積して、哲学的な思想は思想あつかいされない。文学のなかに非文学があり、非文学の中に文学がありそうに見える。こうした日本の文人から見れば、荒々しい、どぎつい、異様な現象だけが眼(め)についたものである」と酷評したことがある。郭沫若(かくまつじゃく)らの作品にはぴったりの批評だが、沈従文の小説は当てはまらない。沈従文の作品には思想的なメッセージもなければ、深い哲学的な含意もない。ましてや政治の道具として利用される余地はまったくないであろう。

 苗(ミヤオ)族や土家(トウチャ)族など少数民族が居住する地域の習俗を詩情豊かな筆致で描き出したのは、単に文学的な才能だけによるものではない。この作家の生い立ちとも関係している。生家のある湖南省西部の田舎町には複数の民族が暮らしており、沈従文本人も漢族を含めて三つの民族の血を引いている。土家族の青年の悲恋を描いた「月下小景」という短編に見られるように、その土地に生まれ、異なる習俗が行き交う中で育った者でなければ、夢幻のような美しい愛の世界は描けないであろう。

 もっとも注目すべきは、この作家が肩をこらすことなく西欧小説とまったく異なる表現様式を独自に創り出したことである。むろん本人は西洋文学を読んでいたし、『月下小景』の連作はボッカチオ『デカメロン』に擬して執筆されたものである。しかし、水彩画のような美しい自然や、山間部の住民の純朴さはいずれも欧米文学でも描かれたことのないものである。作品の特徴として、小説と随筆の境界が不鮮明であることが挙げられるが、そのような異彩を放つ文体も欧米文学と関係なく、独創的に練り上げられたものである。

 一九八三年、沈従文は八十一歳の高齢ながら、ノーベル文学賞の候補者に推薦された。創作から長く離れているという理由で受賞には至らなかったが、中国の近代作家としてはじめて候補に推されたのは驚くべきことである。彼の作品はそれだけ、ヨーロッパやアメリカの読者を魅了したのであろう。実際、沈従文の作品にあらわれた山村水郭は欧米の農村や自然と違うし、彼らがイメージした東洋の田園生活とも大きく異なっている。沈従文の手になる辺境の田舎と、その神秘的な習俗や人々の情緒世界は中国人でさえそれまで想像もしなかったものばかりだ。欧米の読者にとってなおさらメルヘンの世界から聞こえてきたメロディのようなものであろう。

 面白いことに、本人は近代を超克しようとする意識もなかったし、十九世紀小説の羈束(きそく)から逃れて悪戦苦闘したこともない。近代文明から取り残された大地に足をつけ、そこに住む人たちの情緒を恬淡(てんたん)とした心境で描いた結果、はからずも近代西洋小説の規矩(きく)を乗り越えてしまった。ただ、残念ながら、近代中国はこの才能豊かな作家を受け入れ、大きく育てる文化的土壌はなかった。もし、沈従文のような作家が多くいたならば、中国の近代文学はまったく違った道を歩んだのかもしれない。(小島久代訳)
    −−「今週の本棚:張競・評 『辺境から訪れる愛の物語 沈従文小説選』=沈従文・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140126ddm015070028000c.html





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