書評:エドウィージ・ダンティカ(佐川愛子訳)『地震以前の私たち、地震以後の私たち それぞれの記憶よ、語れ』作品社、2013年。


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 危険を冒して創作する、危険を冒して読む人びとのために。これが、作家であることの意味だと私が常々思ってきたことだ。自分の言葉がたとえどんなに取るに足らないものに思えても、いつか、どこかで、だれかが命を賭けて読んでくれるかもしれないと頭のどこかで信じて、書くこと。私の祖国と私の歴史−−私は人生の最初の十二年をパパ・ドックとその息子ジャン・クロードの独裁の下で生きた−−から、私はこれを、すべての作家たちを一つに結びつける行動原理だとずっと考えてきた。
    −−エドウィージ・ダンティカ(佐川愛子訳)『地震以前の私たち、地震以後の私たち それぞれの記憶よ、語れ』作品社、2013年、22頁。

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エドウィージ・ダンティカ『地震以前の私たち、地震以後の私たち それぞれの記憶よ、語れ』作品社、読了。本書はハイチ出身の在米女流作家の現代批評風エッセイ。原題は Creare Dangerously ハイチ公用語はフランス語。異邦の作家カミュの著作に由来する。  

ハイチの独立は1804年。合衆国独立に次ぐものでラテンアメリカでは初めてで「世界初の黒人による共和制国家」であるとは知っていた。しかし中身を何も知らなかった。著者の“危険を承知で書き続ける”ことの意義に圧倒されてしまう。

独立から二百年、ハイチ人はハイチ人の文学を読むことができないままでった。著者は12歳でアメリカに渡るが、それまだ読んだのはフランス文学ばかり(しかしそれが反権力への烽火ともなる)。ハイチ人の言葉に触れたのは移民先でのことだ。

「危険を冒して創作する、危険を冒して読む人びとのために。これが作家であることの意味だと私が常々思ってきたことだ。……いつか、どこかで、誰かが命をかけて読んでくれるかもしれないと頭のどこかで信じて書くこと」。

ハイチは史上最初の黒人共和制国家でありながら、それは干渉と独裁、それにともなう貧困の歴史であった。著者は何の為に書くのか。それは人間を無効化するマモンとそれが巣くう自身に抗うためにクリエイトするのだ。

トントンマクートが如き嵐は過ぎ去ったかかも知れない。しかし「とても悲惨な時代」は今も続いている。印象的なのは、彼女の位置の不在だ。「あなたの祖国は?」と聞かれるとアメリカでは「ハイチ」であり、ハイチでは「アメリカ」だ。

政治とは何なのだろうか。飴と鞭といってしまえば簡単すぎるが、これほど人間を馬鹿にした所作はない。しかし人間はその中で生きざるを得ない。そしてそれに対する気づきを文学が豊穣に持つ。その可能性を啓くおそるべき一冊、瞠目せよ。

たまたま図書館の新書コーナーで何気なく手に取った一冊だったけど、ぶったまげた。特定のイデオロギーに対するイエスかノーで何かが決することは否定しないけれども、それからもれるもの、そしてそれを代弁することで構造を温存させること。それこそ人間を無効化させてしまう。本源的反抗は文学からだ!





作品社|地震以前の私たち、地震以後の私たち









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地震以前の私たち、地震以後の私たち――それぞれの記憶よ、語れ
エドウィージ・ダンティカ
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