覚え書:「保阪正康の昭和史のかたち [敗戦直後のベストセラー] 事実を伝える回路の大切さ」、『毎日新聞』2014年02月08日(土)付。



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保阪正康の昭和史のかたち
[戦後直結のゼストセラー]
事実伝える回路の大切さ

 太平洋戦争終結直後、どのような書がベストセラーになったか、その内実を探っていくと、さまざまなことがわかる。昭和前期の戦前、戦時下はいわば言論弾圧の時代と評することができるが、この間に抑圧されていた関心事が、戦後のベストセラーを生んだといっていい。
 戦後最初のベストセラーはある出版人の考えた「日米会話手帳」である。敗戦、占領という状態で、アメリカ軍兵士など多数が日本に進駐してくるだろうが、その会話の手ほどきをする冊子(32ページ)を敗戦の1カ月後(9月15日)に売り出した。3カ月ほどで三百数十万部を販売したという記録を打ち立てた。むろんこの背景には、「戦時下には敵性語(英語)を学んではいけない、読んではいけない、英書を持つ者は『スパイ』」といった軍部の脅しから解放されたという喜びもあったに違いない。
 昭和21(1946)、22(1947)年のベストセラーになった著作に、森正蔵の「旋風二十年」(鱒書房)がある。森は毎日新聞社の社会部長で、昭和20(1945)年12月に刊行された第1版の「序」に「(大日本帝国が掲げた)その目的を達するために、わが国が選んだ手段は厳粛に反省されなければならぬ。しかもその企ては国民の関知をよそにして行はれた。敗戦の強、今さらかうした究明を試みることが徒労であると云ふ勿れ。これはわれ等の再建の第一歩において、真摯に、また克明に行はれなければならぬ重要な課題の一つである(以下略)」と書いた。そして、この書は昭和という時代に伏せられていた史実を「忠実な叙述によって辿り、何が日本を今日の悲境に導いたかを明らかにする」とその意気込みを語っている。
 この書は当時の毎日新聞の記者たちがそれぞれ分担して書いたのだが、まずは「張作霖の爆死」から「二・二六前後」までを上巻として、昭和20年12月15日に発売された。出版社は日刊新聞に小さな広告を載せただけなのに、反響は大きく、初版10万部は1週間以内に売り切れた。神田の書店には購読者の行列ができた。
 下巻は「枢軸外交」や「日米交渉の真相」、そして戦時の内閣などについて記者たちがまとめ、昭和21年2月に刊行された。上下巻合わせて80万部近くを売ったという。ただし印刷事情、それに用紙の入手困難によって発行部数に限界があったためにこれ以上の増刷は無理だったようだ。
 この「旋風二十年」は、その後さらに改訂版も出されるが、しかしこの第1版の果たした役割は大きい。改めて手に取ってみると、目次には張作霖爆殺事件、3月事件、満州事変、2・26事件、日中戦争などまったく伏せられていた史実が並び、次々にその真相、あるいは裏面史が暴かれてるのである。この書の役割は、太平洋戦争への道筋を初めて国民の前に知らしめたという点にあると改訂版の編集に携わった一人が断言したが、それはまさにあたっている。しかもこの上下巻が刊行されたのは、東京裁判が始まる前のことで、読者は、国民が政治・軍事指導者からなにひとつ事実を知らされていないことにがくぜんとした、との読書感を寄せたのも十分にうなづける。
 この期のベストセラーには、尾崎秀実(ゾルゲ事件の被告)の「愛情はふる星のごとく」などもあり、読者は改めて言論抑圧期の怖さを身にしみて知ったはずだ。
 さてこれだけのことを理解したうえで、戦後すぐのベストセラーの持つ意味をもう少し独自の視点で分析してみたらどうだろうか。あえて2点を指摘しておきたい。その第一は、戦後からわずか3カ月ほどで新聞記者が、こうした書(「旋風二十年」)を書けるということは、彼らは権力者が隠している事実、そしてその隠し方がどのような暴力性を持つか知っていたということができる。
 それを書けないもどかしさから解き放たれて一気に真実を明かしたのである。
 そして第二は、読者は常に事実を知りたがっているということだ。権力者が一方的に事実を隠蔽することが続くと自らの知る欲求が無力化されていき、機会があればそれを表出させる(戦後すぐのベストセラーにはそのような意味がある)。あらゆる事実が公開されることによって、国民は自らの意見を持つことができるという当たり前の図式がここから読みとれる。
 事実を知っている記者、事実を知りたがっている読者。権力者はその回路を常に閉じようと試み、自らに都合のいい情報を流そうと画策する。このところのNHK会長の一連の発言を聞いていると、回路を閉じようとする意図があるとの歴史の流れを追った批判必要ではないか。
ほさか・まさやす ノンフィクション作家。次回は3月8日に掲載します。
    −−「保阪正康の昭和史のかたち [敗戦直後のベストセラー] 事実を伝える回路の大切さ」、『毎日新聞』2014年02月08日(土)付。

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