覚え書:「時流・底流:市民が発掘、満蒙開拓史 誤った国策、悲劇と向き合い」、『毎日新聞』2014年02月10日(月)付。



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時流底流
[市民が発掘 満蒙開拓史]
誤った国策 悲劇と向き合い

(写真キャプション)「東京満蒙開拓団」をまとめた(右から)藤村妙子さん、今井英男さん(故人)、多田鉄男さん=東京都大田区で12年11月

 戦前、戦中に約27万人が旧満州(現中国東北部)に農業移民として送り出された満蒙開拓団信越、東北地方の農山村の人々の悲劇として知られてきた。だが近年、市民たちが独自の調査で、ほとんど知られていなかった沖縄や東京発の開拓団の実態を掘り起こしている。「誤った国策による庶民の受難を記録し、二度と繰り返さないように」という思いが労作を生み出している。

 ◇17年かけ
 沖縄県の60、70歳代の主婦4人で作る「沖縄女性史を考える会」(代表・伊良部住恵さん)は、断片的にしか分かっていなかった沖縄県からの開拓団2603人の歴史を17年かけてまとめた。主に引き揚げ中などの死者922人、徴兵され戦死した者58人、残留者79人という大変な悲劇だったことが判明した。
 メンバーの中で年長の比屋根美代子さん(73)=浦添市=も終戦時4歳で「沖縄戦の記憶がない」という世代だ。
 調査は、開拓団に嫁ぐために海を渡り、「大陸の花嫁」と呼ばれた女性たちの存在に関心をもったことがきっかけでスタートした。
 県庁の基礎資料は沖縄戦で消失しており、新聞の復刻版や引き揚げ者関連の資料に出てくる氏名を見て、電話帳を頼りに連絡を取ることから始めた。4人が手分けして聞いた証言者は約370人。戦後半世紀以上たって聞いた話は食い違いもあったが、検証を重ねて事実を明らかにした。
 努力は昨年夏、A5判788ページの大作「沖縄と『満洲』」(明石書店)として結実した。比屋根さんは「開拓団の凄惨(せいさん)な歴史は、誤った国策の結末だと分かった。外地で戦争と向き合い、逃避行でも死者が出た。証言してくれた人たちのためにも、まとめる責任を感じた」と話す。

 沖縄県では行政や学者にも、先行研究はほとんどない。比屋根さんは「沖縄戦の課題が多すぎて、手が回らなかったのでしょう」。

 ◇活動を続行
 東京都大田区市民グループ「東京の満蒙開拓団を知る会」は、東京から出発した1万1111人の全体像を解明した。
 グループのメンバーは、労働運動を通じて知り合った。武蔵小山商店街(品川区)の約1000人が開拓団になり、600人以上が亡くなったことを知り、2007年から手分けして都公文書館や図書館を回り資料を集めたり、都内の開拓団訓練所跡地を巡ったりして、関係者から聞き取りをした。
 戦時中の経済統制で失業した商店街の自営業者だけでなく、空襲で焼け出された人たちまで現地に送られたことを明らかにした。成果を12年9月、「東京満蒙開拓団」(ゆまに書房)として出版し、満蒙開拓に詳しい直木賞作家、井出孫六さん(82)が「初めて東京の開拓団の全貌が明るみに出た」と高く評価した。
 昨年6月、共同代表の元会社員、今井英男さんが68歳で急死した。しかし、地方公務員、藤村妙子さん(59)ら残るメンバーが調査を続け、データをまとめた全10冊の「東京満洲農業移民資料」の発行を目指している。
 新潟県見附市の元中学校長、高橋健男さん(68)も昨年12月、「渡満とは何だったのか−−東京都満州開拓民の記録」(ゆまに書房)を出版した。
 新潟県の開拓団の歴史を調べる中で、都が戦後、元開拓団員からの聞き取り結果をまとめ、新潟県庁に送った資料を発見。独自の調査結果も加え、5年がかりでまとめた。
 旧植民地からの引き揚げに詳しい加藤聖文(きよふみ)国文学研究資料館助教は「開拓団の歴史は当事者が高齢化し、研究者もあまり取り上げなくなってしまった。こうした中、市民が関心を持って調査したことで、あまり知られていない貴重な事実が発掘されている」と話している。【青島顕】
    −−「時流・底流:市民が発掘、満蒙開拓史 誤った国策、悲劇と向き合い」、『毎日新聞』2014年02月10日(月)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140210ddm004070119000c.html


『沖縄と「満洲」』 卓越した“ジェンダー史” - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース


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