覚え書:「文化 マンショ肖像制作の曲折」、『読売新聞』2014年03月20日(木)付。
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文化 マンショ肖像制作の曲折
(写真キャプション)マンショの肖像画(個人蔵、画像はトリブルツィオ財団提供)。裡面の銘文は「D.Mansio Nipote del Re di Figenge Amb( asciator ) e del Re Fra( nces ) co Bvgnocingva a sva San ( tit ) a」※かっこ内は当時の省略表記を補った文字
(写真キャプション)使節が謁見した教皇グレゴリウス13世の出身家に伝わったマンショの肖像画(作者不詳、1585年、長崎歴史文化博物館蔵)
「此の画は残念乍ら今伝はらない」−−。かつてキリシタン史研究に打ち込んだ詩人・作家の木下杢太郎も惜しんだ天正遣欧使節の肖像画が、イタリアの地に眠っていたことが分かった。1585年、ベネチアを訪問した伊東マンショ(1570?〜1612年)の肖像画で、伊トリブルツィオ財団の保存・管理担当職員、パオラ・ディリコさん(41)が存在を明らかにした。曲折を経て、400年以上前の姿を生き生きと伝える絵の制作事情を探った。(文化部 前田恭二、辻本芳孝)
えり 派手な形式に描き直し
*ベネチアの歓待
九州のキリシタン大名たちの名代として、はるばる欧州へ渡ったマンショら少年4人を中心とする一行は1585年6月26日、ベネチア共和国に入り、10日ほど滞在した。盛大なパレードが催され、貴重な織物やガラス工芸品なども贈られた。賓客として大歓迎されたのだ。
宗教改革の後、カトリックが世界宣教を活発化させていた時代。五野井隆史・東大名誉教授(キリシタン史)は「彼らから見て世界の端から来た使節は、宣教が行き渡った宣伝にもなった」と背景を説明する。
同様に歓待の証しだったのが4使節の肖像画制作だ。同行者がイエズス会に宛てた書簡は6月30日、ベネチアの「最も優れた画家」がスケッチをしたと伝える。別の文献は、それが巨匠ティントレット(1519〜94年)だったと明記している。
*転記された銘文
だが、画風からは息子のドメニコ・ティントレット(1560〜1635年)が描いたとみられる。そもそも4人分の肖像が完成した形跡はなく、17世紀半ば、存在が確認できるのはマンショの肖像のみ。
発見につながった裏面の銘文にも誤記が目立つ。使節4人が現地で身分などを記した墨書とイタリア語訳を踏まえると、大意は「日向の王の縁者にして、豊後のフランシスコ王の使節、ドン・マンショ」と解したいところだ。確かにマンショは洗礼名フランシスコこと大友宗麟の名代だが、日向にあたる部分は「Figenga」とほぼ原形をとどめない。豊後については、使節の一人、千々石(ちぢわ)ミゲルの名字「Cingiua」を地名と勘違いしてつなげた可能性がある。
エックス線撮影によると、銘文はもともと絵の表、顔の左側に記されていた。絵の周囲は切りつめられており、その際、銘文も途切れることから塗りつぶし、裏に転記したらしい。
*小さかった「えり」
エックス線撮影では、えりの部分がティントレットの没後に流行した派手な形式に描き直されたことも分かった。絵を売る都合からか、ドメニコ自身が旧作を改変したことになるが、えりが当初小さかったことは、確かに滞欧時のマンショを描いた証左にもなる。長崎歴史文化博物館が所蔵する素描を見ると、やはりえりが小さいからだ。
だとすれば仕上げたのはドメニコであれ、父ティントレットが使節と対面し、スケッチしたと伝える文献が改めて気になってくる。宮下規久朗・神戸大教授(美術史)は「ドメニコは補筆にとどまり、全体として父が関与した可能性も捨てきれないのでは」と指摘している。
ドメニコ・ジョルジ駐日イタリア大使の談話
「完全に失われたとされていた見事な絵画発見されたことに、大いに関心をひかれ、大きな喜びとするところです。イタリアには使節の貴重な文献記録や史料が数多く残っています。支倉常長の肖像画が今、東京国立博物館で展示中ですが(23日まで)、それと同様に、日本とヨーロッパの交流史を象徴する聖画像です」
「気高さ伝わる」 調査のディリコさん
「この絵と恋に落ちたとしか言いようがない」。マンショの肖像画を確認、4年がかりで調査してきたパオラ・ディリコさんは笑顔を見せた。
出会いは2009年夏、伊北部の個人コレクションの整理を引き受けた際のこと。瞳の形、薄い唇、ひげの生え方−−。一目でアジア系の人物とわかり、興味を持った。スペイン風の衣装から「フィリピン人かしら」とも思った。
肖像画を特異としたドメニコは、こまやかな名メイン描写が持ち味だ。ディリコさんは、少年の静かなまなざしにひかれるという。「重要な使命を負った誇り、気高さが伝わってくる」
史料や絵画の保存・管理の専門家。日本史は詳しくなかったが、「D.Mansio」の文字から、天正遣欧使節を調査し、「日本の文化や歴史を知ることができてうれしい」と満足そうに語った。
画風を鑑定し、ディリコさんの論文を監修したベネチア大のセルジオ・マリネッリ教授(美術史)は「極めて貴重な作品だ」と評価し、「この作品を含め、ティントレット父子の展覧会が日本で開かれることを願っている」と述べた。(ミラノにて 青木佐知子、写真も)
−−「文化 マンショ肖像制作の曲折」、『読売新聞』2014年03月20日(木)付。
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