日記:吉野作造や南原繁を学ぶアクチュアリティについて一言

1





先日、宮城県大崎市吉野作造記念館で講演した折り、聴講してくださった「『吉野作造通信』を発行する会」の永澤さんから、最新の『吉野作造通信』(15号)を頂き、ようやく眼を通しました。遅くなりましたがありがとうございました。

デモクラシーの旗手・吉野作造は、歴史教科書にも登場しましたが、出身の宮城県でもその名前はおろか、消息すら理解していない人が多い現状で(弟の方が有名)、吉野について調べ、学び、地域の関係を浮かび上がらせるために刊行されたのが「吉野作造通信」とのこと。昨年で28年目。

吉野作造通信』最新号(15号、2013年12月)では、山田昭次先生の論説「朝鮮人虐殺事件に関する吉野作造の思想と行動」を筆頭に、資料として吉野の「朝鮮人の稀代の惨劇についての反省」、「金子ふみ子自叙伝」、川端純四郎「さんびかものがたり きよき岸べに」を掲載、記念行事の紹介という構成になっております。

吉野作造通信』15号、「編集後記」に刊行の意義が書かれておりますが、曰く……。

ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)を許さない市民運動や安倍政権の秘密保護法に反対する広汎な団体や市民の意思表示がみられた二〇一三年の暮れに、吉野作造関東大震災の特集の続編(第八号、一九九三年十二月に続く)を発行できて感謝です」。

「本号では、朝鮮人虐殺に対し吉野作造が政府に要求して果たせなかった内容を継承し、その実現を目指して奮闘しておられる山田昭次先生の玉稿を通し、吉野作造のこと、朝鮮人虐殺事件の歴史的意味について学ぶことが出来たらと願って編集いたしました」。

「『吉野作造通信』を発行する会」とは、市民の自発的学習会になります。今年の3月には、大正デモクラシー研究で知られる元桃山学院の太田雅夫先生を招き、新島襄と海老名弾正との関係の講演も開催しております。「継続は力」といいますが、なかなかできることではありませんし、その学びは顕照を大きく凌駕しているのではないかと思います。

よく、吉野作造南原繁を研究していると、「そんな(顕照的な)ノスタルジックなことをして意味があるの?」と揶揄されることがあります。確かに吉野作造南原繁には「限界」がありますが、例えば「通信15号」に見られる、過去の学びから現代を照射する営みは、そうした揶揄を跳ね返す民の学びの力です。

僕は「吉野作造を学ぶことは、吉野作造として生きることだ」と言いますが、例えばヘイトスピーチに対して「表現の自由」の手前で何もできない知識人の姿をみるにつれ、その理論的根拠は弱いかもしれませんが、通信15号の如く、それはおかしいぞといい切る「学び」を侮って欲しくはありません。

( 勿論、僕自身、吉野作造南原繁に「肩入れ」してることは承知しておりますが、一刀両断に、その学ぶ姿をあざ笑うが如きアカデミズムというのはどうかと思うし、きっかけはノスタルジックな郷土愛の如きものからの立ち上がりだとしても、同趣味の者が慰み合うが如きとらえ方はどうかと思います )



 





Resize1248

Resize1244