日記:集団的自衛権閣議決定という暗黒時代を生きるということ。

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集団的自衛権閣議決定で決められた「行使の条件」には「明白な危険」「我が国の存立」という言葉が出てくるが、これは、いかようにでも解釈できる。

太平洋戦争開戦の詔書には「自存自衛」のためとあった経緯を考えると(そしてあらゆる開戦の名目は「自存自衛のため」と掲げるわけだから)、やはりまずい。

加えて憲法の解釈を正規の手続きを経ずに、国家を拘束する筈の憲法が、遵守義務の対象である内閣によって反故(解釈改憲)されたことだろう。踏み込んでしまったならば、あとはなんぼでも好きなことができる。そこに戦慄しなければならない。

戦前日本の議会政治の破綻は、軍部独裁で終止符と俗に言われますが、実際の所、軍部を招いたのは政党政治家たちだし、政党が批判を交わすために、(本来的にも危険な法律ですが)治安維持法の改悪に躍起になった。とすれば、立憲主義政党政治家たちが批判した悲劇を再演しているようにしか思えない。

大日本帝国憲法も、勿論、建前として立憲主義という構えだ。しかし、「天皇陛下」というタームの前ではすべてが無効化されてしまう。とすれば正面から天皇制を批判しても始まらないから「天皇陛下を思い煩わせないようにがんばります(キリッ」というアプローチで漸進させていくしかないとなる。

僕自身は、吉野作造の研究が重箱の隅の対象になるのだけど、学べば学ぶほど、規範の存在しない不安定な状況のなかで、いかに知恵を絞り、実質的なところでシステムと人々の意識を変えていくという脱構築していく創造的挑戦には驚くばかりだったのだけど、自分自身が同じ状況になるとは思わなんだわ。

言い方は悪いのだけど、所謂マルクス主義ちっくな歴史学は、戦前日本と断絶を強調し、戦後日本の民主主義を高潮したけれども(実際には武田清子先生も指摘している通り水脈は続くのだけど)、21世紀になって自分が吉野作造の如き、民本主義的アプローチで対峙必要が出てくるとは……とほほを通りすぎてしまう。


「闇の中を歩み通す時、助けになるものは、橋でも翼でもなく、友の足音である」(ベンヤミン)。



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みんなの広場
閣議決定賛成者は公明離党を
年金生活者 69(奈良県上牧町

 集団的自衛権については、第一に国民の議論を深めて憲法9条改正の是非を問い、是となれば96条に基づいて国民投票を実施するのが正当と考えます。第二に与党協議優先ではなく、国会審議優先でなければいけないと思います。
 閣議決定の「自衛の措置」という文言は単純に語義から考えて個別的か集団的かということを問いません。また、「他国」という言葉には他国防衛の対象を米国以外にも広げようという怪しい気持ちがありありです。どこまで拡大しようというのでしょうか。意図的に「いいかげん」な文章にしていると考えます。
 「平和」は公明党の大黒柱です。多くの反対を押し切って、政府方針に同意を与えた党幹部や国会議員は公明党を離党してもらいたいのです。このたびの閣議決定に賛成、あるいは執行部一任という判断を下した議員と反対した議員の名前を党機関紙の上で公表することを望みます。発言機会のない一支持者としての思いです。
    −−「みんなの広場 閣議決定賛成者は公明離党を」、『毎日新聞』2014年07月02日(水)付。

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