書評:進藤久美子『市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか』法政大学出版局、2014年。

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進藤久美子『市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか』法政大学出版局、読了。戦後の政治家としての評価とは裏腹に戦前・戦中の軌跡を評価するのが難しい市川房枝。一次資料にあたりながら、礼賛でも弾劾でもない抑制のとれた筆致でその全体像を描き出す最新の浩瀚な評伝

大正デモクラシーの空気を吸い、そのさらなる完成(婦人参政権)を目指す市川の大きな壁は大東亜戦争。非戦のから撤退するか、それとも権利獲得のために政府に協力するか。市川は後者を選ぶ。満州事変に反対した彼女を「転向」と捉えるべきか。

彼女の転回を戦争肯定と理解するのは早計過ぎるだろう。晩年まで石原完爾に共鳴(彼女自身のイデオロギー超越性のスタイルもあるが)したように、東亜連盟への共感や中国の女性との連帯の志向は、単にナショナリストと片づけることはできない。

戦中も女性擁護の立場から東条内閣の内政政策と鋭く対立し、その先鋭化は女性徴兵論にも赴くが、市川の軌跡そのものが、都議会ヤジに象徴されるように、この社会の男性優位の構造そのものが、今も変わらぬことを物語る。今読むべき1冊か。 






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