覚え書:「書評:ボラード病 吉村 萬壱 著」、『東京新聞』2014年07月20日(日)付。

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ボラード病 吉村 萬壱 著

2014年7月20日

◆繋がれ生きる人間の慟哭
[評者]横尾和博=文芸評論家
 私たちは、見えない鎖に繋(つな)がれている。巧妙で柔らかなファシズムの時代に生きている。「ボラード」とは、港で船を係留する繋船柱(けいせんちゅう)の意味。読後、繋がれている擬似(ぎじ)的な安心と、海をたゆたう小舟の孤独と、自分はどちらに身をおくのか考えさせられた。
 本書の語り手は三十歳の恭子。小学五年生のときに過ごした架空のまち、B県海塚(うみづか)市での日々を回想する。海塚市は大災害から復興を果たした地方都市だ。そこに住み続けることを選んだ住民たちは、相互に監視し合い、社会との「結び合い」を強制される。
 学校では海塚市を讃(たた)える教育が行われ、「海塚讃歌」を歌い、病気で死んでゆく子どもたちは後を絶たない。体制に異をとなえる者は、「背広を着た屈強な男たち」に拘束されて、まちからいなくなる。
 恭子の父は不在、母は癇性(かんしょう)で他者の視線を異常に気にする。だが冒頭だけを読むと静謐(せいひつ)な母子家庭の姿、母と娘の葛藤、小学校での日常、よくある親子小説のように思える。その差異が不気味だ。読み進むうちに重苦しい雰囲気が覆いだし、読者の居心地の悪さはラストに向けて一気に溢(あふ)れ出す。
 想起するのは原発事故以後の日本の姿である。わずか三年で事故などなかったような「空気」が社会を覆う。そして絆だけが異様に強調され、違和を語る者は異端者扱いを受ける。一方で社会に「同調」せざるを得なかった住民の慟哭(どうこく)も存在する。そのような今、ボラードとは惰眠を貪(むさぼ)る私の代名詞であり、テクストの背後の闇は深い。
 吉村は容赦がない。人間を特有の皮膚感覚で奈落の底に突き落とす。暴力、性、退廃、アナーキーが横溢(おういつ)する。その過剰さのなかで虚飾を剥(は)いだ人間の真の姿を浮き彫りにさせるのだ。しかし過去の作風と違うのは、ディストピア(反ユートピア)小説の枠を借りて、表現を抑制し殻を脱いだこと。荒廃の果てにどのような情景が見えるのか。3・11以降の文学史に残る一冊。
文芸春秋・1512円)
 よしむら・まんいち 1961年生まれ。作家。著書『ハリガネムシ』など。
◆もう1冊
 ジョージ・オーウェル著『一九八四年 新訳版』(高橋和久訳・ハヤカワepi文庫)。全体主義国家の恐怖を描いたディストピア小説。
    −−「書評:ボラード病 吉村 萬壱 著」、『東京新聞』2014年07月20日(日)付。

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