書評:ボリス・シリュルニク(林昌宏訳)『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』吉田書店、2014年。

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ボリス・シリュルニク(林昌宏訳)『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』吉田書店、読了。6歳の時、占領下のフランスでナチに逮捕されたが、逃亡し、後に苦労して精神科医となった著者が自らの人生から導き出した教訓が本書の邦題だ。これはいい本だ。 

ボルドーに生まれた著者にフランス人の意識はあってもユダヤ人の意識はなかった。ある日突然「ユダヤ人」とラベルされ、戦時下は処罰の対象となり戦後もユダヤ人という謂いで差別されるが、ユダヤ人とは「現実から切り離された表象」でしかない。隷属を考えよ。

隷属とは対象に関して考えることを拒否することだ。著者はその圧力のなか、単純な答えを退けながら、ゆっくりと時間をかけて自らを取り戻すだけでなく、他者をも回復する。さながら優れたルポルタージュでありながら同時に小説の如き。現代の「告白」とってもよい。

本書は、一九四四年一月に私が逮捕された時点から出発し、パポンが断罪された二〇世紀最後の一〇年までを扱う。大物政治家の対独協力は世を震撼させたが、復興第一の戦後フランスが封印を強要した「沈黙」が全ての人を覆い尽くしたのだ。

思えば、パリ解放後、禿髪された売春婦だけが「対独協力者」なのか。日当稼ぎの商売と、アイヒマン官僚主義を比べたくもないが、加害者にも被害者にも沈黙を強い、体験は「心の中の礼拝堂」の中だけで語られた。物語よりも神話の優位である。

著者は戦中よりも戦後に苦労している。それは生きる中で、過去を練り直し続け、生きる時間としての物語を再構築していく営みだからだ。神話が政治的虚構とすれば、人々の物語とは虚構ではない。それを立ち上げるのが「レジリエンス」なのだ。

レジリエンスとは、心の傷についての深い理解とトラウマをはねのける「へこたれない精神」のこと。記憶が事実の断片であるとすれば、思い出はそれを組み合わせて意味を付与したものだ。だとすれば、思考停止を退けることが肝要になる。

考えるとは理解することだ。その知的な努力によって「事実の断片」に対する見方を変えていくから、憎むことは「過去の囚人であり続ける」思考の停止に等しい。加害者がのうのうと論評できる告白ではない「凍った言葉をとかす」一冊だ。

本書はフランスでベストセラーになったというが日本では殆ど知られていないだろう。訳者解題で出てくるが、訳者と出版人が“「語り継ぐことの重要性」を天命と感じ、この本の出版に賭けた”という。一読者としてその労苦に感謝したい。





憎むのでもなく、許すのでもなく


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憎むのでもなく、許すのでもなく――ユダヤ人一斉検挙の夜
ボリス シリュルニク
吉田書店
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