覚え書:「書評:暴力的風景論 武田 徹 著」、『東京新聞』2014年07月20日(日)付。

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暴力的風景論 武田 徹 著

2014年7月20日


◆見る者を呪縛する力暴く
[評者]上野昂志=評論家
 風景とは何か? 著者は「世界観」や「物語」との近縁性も挙げるが、風景のあり様としては以下の言がもっとも適切だと思われる。すなわち「『風景』がひとたび視界に現れれば、人はそれ以外のものとして世界を見ることができなくなる。こうして『風景』は顕現すると同時に、隠蔽(いんぺい)もする」と。
 人は通常、それと意識しないまま風景を見ている。しかし、見たものは、「世界」として人を捉える。そこに風景の呪縛力すなわち「暴力」があるのではないか。それを意識化し、風景の暴力を露呈させること、沖縄に始まる著者の歩行=思考は、その実践としてあるといえよう。
 著者は、沖縄に基地が集中した戦後の歴史を辿(たど)ったうえで、嘉手納基地の脇にある「安保の見える丘」に立つ。そこからは「日米同盟の戦後を象徴する」風景を見ることができるのだが、問題は、それ自体が、いまや「後景」に退きつつあるというのだ。なぜなら二〇〇三年にできた「道の駅かでな」の展望台からは、「安保の見える丘」を見下ろし、さらにより遠くまで基地を見通せるようになったからだ。
 そこでは、観光客が離陸する戦闘機に歓声をあげ、記念写真を撮っているという。そして、さらに沖縄の風景を変貌させているのが、基地の跡地に作られた「アメリカン・ビレッジ」という商業施設だ。そこの巨大な観覧車から見れば、基地もただの点景と化してしまうであろう。
 立つ位置によって見える風景が異なるのは当然だが、それを自明化するのでなく、別の角度から見直してみる、そこから、錯綜(さくそう)した沖縄の戦後史が見えてくる。以後、連合赤軍浅間山荘から田中角栄の列島改造の夢を辿り、宮崎勤の見た風景や、富士山麓に「首都」を夢想したオウム真理教などを経て、風景を「切り裂こう」とした秋葉原事件に到(いた)る著者の歩行=思考は一貫しており、改めて「風景」について考えるよう促される。
(新潮選書・1296円)
 たけだ・とおる 1958年生まれ。ジャーナリスト。著書『原発報道とメディア』。
◆もう1冊 
 松田政男著『風景の死滅 増補新版』(航思社)。遍在する権力装置としての風景に抵抗するゲリラ的空間を論じた評論集。
    −−「書評:暴力的風景論 武田 徹 著」、『東京新聞』2014年07月20日(日)付。

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