覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 社会的排除状態に危惧=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年08月13日(水)付。
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くらしの明日
私の社会保障論
社会的排除状態に危惧
児童虐待相談数7万件超え
湯浅誠 社会活動家
児童虐待の相談対応件数が昨年度、7万件を超えた。1990年度が1101件だったから、約25年間で約70倍に増えた計算だ。背後には問題意識の高まりがある。いわゆる「泣き声通報」の中には誤解に基づくものもあるだろうが、それによってより多くの子どもたちが深刻な事態に至る前に対応されているのだとしたら、喜ばしいことだ。
しかし、発見は解決ではない。特に虐待のように精神的に深い傷を残すものは、発見した後に、本人と本人を支える者たちによる長い長い「闘い」が始まる。簡単には支援の終結には至らない中で発見機能が高まっていけば、支援機関はパンクする。都市部の自治体の児童相談所は、すでにそのような状態になって久しい。
発見は重要だ。その上で、その後の対応にも社会の目が向くといい。人によってはかなりの長期に及ぶ対応機関を専門家だけに委ねるのだとしたら、支援スタッフの増員が欠かせないが、それには費用がかかる。本人(子ども)に支払い能力がない異常、税金などでまかなうしかない。
他方、公務員は長く減額・削減の対象であり、大幅な増員に関する社会的合意はない。結果として「より対策を充実させるべきだ」と「行政機能はスリム化すべきだ」という相反する欲求のはざまに子どもたちが落ち込んでいく。
私たちは、このような状態を社会的排除と呼んできた。誰もが「何とかすべきだ」と言う。しかし同時に、誰もが負担は忌避する。結果として十分な仕組みが整備されず、誰かが排除される状態が続いてしまう。
もちろん、そもそも親が虐待しなければいいし、起こってしまった虐待に対しては行政機関が大量かつ完璧に対応すればいい。それができれば、子どもたちが相反する欲求のはざまに落ち込むことはない。だから私たちは、虐待の事件などが報道されるたびに、親を責め、役所を責める。
しかし、どれだけ親を責めても、どれだけ役所の対応を叱責しても、悲劇は繰り返し起きてしまう。だとしたら私たちは「親と役所がしっかりしてさえいれば、こんな問題は起きない」という自らの思いこみ自体を疑ってみる必要がある。それは本当に現実的な想定なのか、と。
社会的排除とは、「社会」が引き起こす「排除」である。そして社会は、私たち一人ひとりが構成している。親だけ、役所だけの問題と考えているうちは、虐待を生き延びた子どもたちをきちんと支えられる社会にはならないのではないか、と私は危惧している。
児童虐待相談の急増 児童虐待相談件数が23年連続で過去最多を更新した背景には、2008年に虐待通告された自動の安全確認を義務化したことで、埋もれていた虐待事案が明るみに出た側面がある。昨年からは虐待を目撃したきょうだいも安全確認の対象とされた。この他、親が子どもの目前で配偶者に暴力を振るう行為の通告も増えている。
−−「くらしの明日 私の社会保障論 社会的排除状態に危惧=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年08月13日(水)付。
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