覚え書:「ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で=沼野充義」『朝日新聞』2014年09月23日(火)付。

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ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で 寄稿・沼野充義

(写真キャプション)推理作家のアクーニンさん(左)と妻エリカさん

 最近の緊迫したウクライナ情勢については、日本でもかなり報道されてきた。しかし、それと並行してロシア国内で進行しているもう一つの憂慮すべき問題については、まだほとんど知られていない。それは、ロシアの対ウクライナ強硬政策に反対の声をあげる心ある少数派が「非国民」呼ばわりされ、攻撃されているという事態である。

 ■「敵国のスパイ」と罵倒 「無知の病」と批判した作家
 プーチン大統領の支持率は80%以上という異様な高さで、民衆の間には好戦的な気分とウクライナに対する憎悪が広がっている。見逃してはならないのは、その背後に、政府の完全な統制下に置かれたロシアのマスコミによる強力な反ウクライナ宣伝があったということだ。ウクライナでの虐殺映像と偽ってチェチェンやシリアの写真が使われるなど、虚偽や歪曲(わいきょく)の例は数え切れない。人心は操作されている。
 この状況の中でプーチンを批判し、反戦と友愛を唱えるのは容易なことではない。しかし、ロシアの文化界には、少数ながらそういう勇気ある作家や音楽家がいて、対抗勢力として社会の良心を代表している。中でも際立っているのが、推理作家ボリス・アクーニンと、ロシアを代表する女性作家リュドミラ・ウリツカヤである。
 アクーニンは小説がロシア国内ですべて数十万部は売れ、世界でも30カ国語以上に翻訳されている超人気作家であり、膨大な愛読者がフォローするブログやフェイスブックで、終始冷静な社会批判を展開してきた。他方、ウリツカヤは8月にドイツの「シュピーゲル」誌に寄稿したエッセーで、「私の国は攻撃的な無知と、民族主義と、帝国主義的な熱狂という病に侵されている。私は自分の国の無能な政府が恥ずかしい」と、歯に衣(きぬ)着せぬ批判を行った。
 それに対して、国粋主義的な勢力は彼らを標的にし、インターネット上には「国民の敵」「敵のスパイ」といったおぞましい罵倒があふれ、街角にも悪意ある戯画が大々的に掲げられるまでになった。

 ■コンサート次々中止に 難民のために歌った歌手
 さらに8月半ばには国民的なスターとして高名な歌手アンドレイ・マカレヴィッチが、東部ウクライナのスヴャトゴルスクという町のチャリティーコンサートで難民の子供たちのために歌を歌ったことが「利敵行為」と見なされ、スキャンダルになった。彼を裁判にかけて「国民栄誉賞」の称号を剥奪(はくだつ)せよと息巻く国会議員まで現れたのである。
 私は9月初旬に国際翻訳者会議に招かれてモスクワに滞在し、「文化の外交」を担うべき世界中の翻訳者たちと交流し、このような事態に対する危惧を共有するとともに、アクーニン、ウリツカヤ、マカレヴィッチにも直接会って、彼らを取り巻く厳しい社会情勢を確かめてきた。
 アクーニンは「いまモスクワを歩いていると、見るもの、聞くもの、すべてにぞっとさせられる。人々は何も見ようとも、知ろうともしていない」と、今の心境を語った。一方、マカレヴィッチは、コンサートを次々にキャンセルされ、音楽活動がまともにはできなくなってしまった。それに対抗するかのように、彼は9月6日に「私の国は気がおかしくなってしまった」という強烈な歌詞を含む新曲を発表した。
 かつてのソ連時代と違って、政府を批判する知識人がいきなり逮捕されることはないが、それでも「考えを異にする者たち」を許容しない暴力的な言辞が社会に瀰漫(びまん)しているのは恐ろしい。目に見える武力を用いた戦争と並行して、目に見えない内なる戦争が進行しているのだ。
 ロシア文学を愛する者として、私は注意深く事態の推移を見守りながら、新たな「異論派」に熱い連帯の挨拶(あいさつ)を送る。
 悪い政治が国境線を引き直し、人々を分断し、憎悪を煽(あお)りたてるとしたら、優れた文学や芸術は境界を越え、人々を結びつけることができるからだ。
 (東大教授、日本ロシア・東欧研究連絡協議会代表幹事)
    −−「ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で=沼野充義」『朝日新聞』2014年09月23日(火)付。

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