覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『保守のアポリアを超えて−共和主義の精神とその変奏』=佐藤一進・著」、『毎日新聞』2014年10月19日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『保守のアポリアを超えて−共和主義の精神とその変奏』=佐藤一進・著
毎日新聞 2014年10月19日 東京朝刊


 (NTT出版・4320円)

 ◇熱狂を回避し「自由」と「徳」の世を

 「保守主義」が世界を統治する有力な思想となって久しい。レーガン・中曽根・サッチャー新自由主義を採用した1980年代以降、それは経済的自由(規制緩和と小さな政府)と積極的軍事を表裏一体とした。

 これは「新保守主義」とも呼ばれる。どこが「新」かといえば、従来の保守派を既成の価値観や慣行、権益を擁護する守旧派とみなし、少なくとも経済面についてはそうした旧保守派の打倒を試みたからだ。

 こうした新保守主義からすれば、さだめし規制緩和や小さな政府、それでいて常備軍の重要性を訴えた『国富論』のアダム・スミスは、思想上の祖先と映る。また貴族が有する既得権の打破に市民が立ち向かったフランス革命も、旧秩序(アンシャン・レジーム)の打破を目指した点では新保守主義に通底するものがある。

 けれども保守主義は、もとはといえばフランス革命への批判としてエドマンド・バークが1790年に英国で出版した『フランス革命省察』によって創始された。さらにバークがスミスの支持者であり、現代において最前線の左翼と目されるアントニオ・ネグリがバークに敬意すら隠さないことに思いを致すと、話は単純ではない。保守は守旧的とは断じられないのだ。

 本書は保守主義をめぐるそうした錯綜(さくそう)を、「共和主義」を補助線として挿入し、解き明かそうとする野心作である。著者は30代半ばの俊英。集団的自衛権アベノミクスを両輪とする安倍政権は新保守であろうが、それははたして保守主義なのか?本書に照らすと、印象はがらりと変わるだろう。

 こんにちを生きる我々は、「共和主義」と聞くと「君主を排除した政体」、フランス革命が目指したそれと考える。しかしそれは近代の発想であって、古代ギリシャ・ローマの伝統からすれば市民が「徳」を発揮しうるような統治機構を指したと著者は言う。ピューリタン革命で混乱した17世紀の英国でそうした共和主義の復興を唱え、それには確たる土地所有が不可欠と訴えたのが『オシアナ共和国』を書いたジェームズ・ハリントンだった。

 ところが18世紀になると、事情が一変する。工業や商業の進展とともに英仏で不動産が流動化し、株価が高騰した後、バブルがはじける。半世紀後のフランスで革命が勃発し、ナポレオンが登場して大陸は大混乱に陥った。

 ここでハリントン的に土地所有を安定させたり商業を制限したりするならば、守旧的とみなされよう。それに対しデビッド・ヒュームやスミスはむしろ商工業の拡大に期待をかける。それは人々に新たな出会いを促し、「社交」や「文明」を発展させるからだ。バークの保守主義はこの社交論を前提としたというのが、本書の核心である。

 何のためか。「自由」や「徳」の追求よりも、バブルや革命、戦争につきまとう「虚栄」や「熱狂」の抑制こそが不可欠というのがバークの狙いであった。保守とは、熱狂を回避し個人や社会を自律させるための社交や文明の持続を指す。ジョン・ポーコックの議論を援用するにせよ、「保守」についての見事な整理だと思う。

 安倍政権は株価高騰という「熱狂」や国防の自律性を損ないかねない集団的自衛権を導入した。米国のイラク戦争リーマン・ショックも熱狂の産物だった。それでも保守と言えるのか。本書は時論を語らないが、そんな連想も働くだろう。
    −−「今週の本棚:松原隆一郎・評 『保守のアポリアを超えて−共和主義の精神とその変奏』=佐藤一進・著」、『毎日新聞』2014年10月19日(日)付。

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