覚え書:「月いち!雑誌批評:「弱者」に反論の機会を=山田健太」、『毎日新聞』2014年12月22日(月)付。

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月いち!雑誌批評:「弱者」に反論の機会を=山田健太
毎日新聞 2014年12月22日 東京朝刊

 札幌市の北星学園大で非常勤講師をしている元朝日新聞記者の契約延長が決まり、雇い止め問題がひとまず決着した。それと軌を合わせるように、「文芸春秋」1月号に、元記者の手記「慰安婦問題『捏造(ねつぞう)記者』と呼ばれて」が掲載された。同社刊行物の記事が引き金となって、激しい人格攻撃や本人・家族および大学への脅迫が行われていたことを受け、そのおおもとへの<反論>ということになる。ただし、その冒頭には編集部による寄稿内容を否定することわり書きが付くという、ちょっと珍しい形の反論文掲載だ。

 日本では往々にして「書かれ損」の実態があり、報道対象は十分な対抗手段を持っていない。それでも放送の場合は、法律で訂正放送の仕組みがあるし、放送倫理・番組向上機構BPO)という第三者性のある苦情申立機関も存在する。それに比べて、雑誌には救済制度がなく、あえて言えば、日本雑誌協会に設置されている「雑誌人権ボックス」という形式的な受付窓口を業界で作っただけである。

 自主的な対応策のうち、最も実現性があって効果も期待されるのは、報じたメディアに報じられた側の「言い分」を掲載し、事実上の反論権を担保する方法だ。海外では、権利として反論の機会を保障し、圧倒的に弱い立場に置かれている書かれた側の尊厳を守る仕組みを作ってきている。一方で日本では、権利として認めることに関しては、編集権を侵害するものとして現場からの強い反発がある。

 だからこそ、メディアが自主的に、書かれた側に対してきちんと言い分のスペースを与えることが大切だ。特に雑誌の場合は、絶対的な証拠がなくても思い切って書き切ることもある。名誉やプライバシーを壊す恐れをはらんだ存在ゆえに、多様な声に耳を傾ける必要があるだろう。

 今日的な雑誌編集の特徴として、声の大きな人や立場の強い人を意識して紙面を作っている雰囲気が色濃く感じられる。だが、雑誌は新聞やテレビとは別の角度からニュースを報じる「オルタナティブ・メディア(もう一つのメディア)」だ。マイノリティー(少数者)の声を吸い上げることこそ、雑誌の真骨頂のはずだ。それからすると、今回の文春は、不十分ながらも「弱き者の声」をきちんと報じており、その点は評価したい。=専修大教授・言論法 
    −−「月いち!雑誌批評:「弱者」に反論の機会を=山田健太」、『毎日新聞』2014年12月22日(月)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20141222ddm004070029000c.html





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