覚え書:「戦争『物語化』への危惧 寄稿 笠原十九司」、『毎日新聞』2015年03月09日(月)付夕刊。

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戦争「物語化」への危惧
実態を知り本当の鎮魂を
寄稿 笠原十九司(都留文化大名誉教授・日中関係史、中国近現代史

 「いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、尊い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりともわすれません」
 これは、2013年8月15日の全国戦没者追悼式における安倍晋三首相の式辞である。そしてこの年の12月26日、安倍首相は靖国神社へ参拝、「愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」という談話を発表した。
 中曽根康弘首相「公式参拝」に始まり、小泉純一郎首相が繰り返し、安倍首相が受け継いだ、政府指導者による靖国神社参拝の儀式は、侵略戦争に動因され、犠牲にされた兵士と遺族、そして国民に対して、天皇と軍部指導者と政府の戦争責任を棚に上げたまま、国民が将来の戦争にも犠牲になるよう、だまし続けるための、政治的セレモニーであると、私は思う。安倍首相は、戦死者が家族と故郷と国を守るために命を捧げたという「美しい日本の兵士」像を作りあげるために、戦争「物語化」の言説を折りあるごとに繰り返しながら、マスコミを操作してその浸透をはかろうとしている。それに策応する保守系メディアもあり、現在の日本のマスコミ界において、日本の侵略戦争を批判し、日本軍の加害・虐殺の事実を報道することをタブー視する傾向が強まっている。

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 3次にわたる長期の安倍政権下に、愛国心を強調した教育基本法に改正し、それにもとづいて、愛国心教育を柱とするように学習指導要領を改正し、それにそぐわない歴史教科書叙述を排除するように教科書検定基準を改定し、現在は愛国心を教える「道徳」の教科化をはかっている。
 安倍政権の戦争「物語化」への世論操作にとっては、日本軍による侵略・加害の事実、とくに残虐事件・虐殺事件の歴史事実は不都合である。とりわけ、歴史教科書に記述され、学校の歴史教育で教えられるのは、不都合きわまりない。安倍氏は、1997年に自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(後に「若手」を削除、教科書議連)を結成して事務局長となり、その時に事務局次長についた下村博文氏が、長期にわたり文科相を努め、教科書から「従軍慰安婦」問題や南京事件をはじめとする侵略・加害の記述を削除、修正させるためにさまざま教科書攻撃をおこなってきた。
 安倍首相の戦争「物語」化の言説と策動の目的は、首相が「命を懸けても」と執念をもやす、日本国憲法を改正し、憲法9条を放棄し、将来の日本の戦争に犠牲になる者とそれを指示する国民を育成することにある。

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 戦争は国家による「大量殺人」であるから、日本が15年間にわたり中国大陸でおこなった戦争において、日本軍は膨大な中国兵と民衆を殺した。日本の歴史書では約100万の中国郡民が犠牲になったと記され、中国側の公式見解で約300万の中国人が死傷したとされる。
 日本政府と国民が、外務省ホームページ(アジア・歴史問題Q&A)にあるように「多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ」、膨大な日本軍が長期にわたり中国戦場においておこなった加害の歴史を知ることが、歴史認識をめぐる日中の齟齬と対立を克服するために不可欠である。

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 殺し、殺されるのが戦争であるから、日本軍兵士の戦死者も膨大で、日中戦争・アジア太平洋戦争をふくめて日本軍人・軍属の戦没者は230万人といわれる。
 藤原彰『飢死した英霊たち』(青木書店)は、これらの戦没者過半数が戦闘行動による戦死ではなく、食糧補給の途絶に由来する飢餓地獄の中で野垂れ死によるものだった実態を告発している。膨大な戦没者への鎮魂とは、われわれ戦後世代の国民が、若き兵士たちが餓死・病死さらに魚草津、自決など無謀な戦死を強制された戦場の実態と戦争の現実を知り、無念の気持ちに思いをはせ、そのような戦争の愚考を再び許さない国民になることである。(かさはら・とくし)
    −−「戦争『物語化』への危惧 寄稿 笠原十九司」、『毎日新聞』2015年03月09日(月)付夕刊。

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