覚え書:「『常勝関西』試される公明 創価学会元総関西長、15日死去」、『朝日新聞』2015年03月31日(火)付。

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「常勝関西」試される公明 創価学会元総関西長、15日死去
2015年03月31日

(写真キャプション)西口良三氏=「AERA」(1996年5月6−13日号)から、前田博史氏撮影
 公明党の支持母体「創価学会」で総関西長などを務め、関西での選挙基盤を作り上げた西口良三氏が今月15日、76歳で死去した。その強力な集票力は「常勝関西」とまで呼ばれた。だが、近年、大阪維新の会が台頭し、統一地方選を前に関西の公明が正念場を迎える中での死去だった。

 西口氏の葬儀は18日、大阪市内で営まれた。池田大作名誉会長の弔辞が代読され、西口氏を「我が盟友」と評した。自民党二階俊博総務会長や古賀誠元幹事長らが参列。安倍晋三首相や企業トップも弔電を寄せた。

 西口氏が創価学会に入会したのは1956年。参院選で、池田氏の陣頭指揮のもと、創価学会推薦候補が大阪で初の議席を得た年だ。この後、西口氏は池田氏の運転手を務めるなど厚い信頼を得た。77年に関西長、98年にはより上席の総関西長に就任。「電話魔」で幹部に指示を出す一方、一般会員を激励した。

 関西選出の国会議員や地方議員の当選者を増やし、「常勝関西」と呼ばれる組織を作った。関西の学会関係者によると、住宅地図を一軒一軒つぶすように支援の輪を広げる「人脈選挙」を定着させた。選挙期間中は朝から晩まで情勢の厳しい選挙区を車で巡り、選挙区の責任者に自ら会いに行って助言するなど「現場主義」を徹底。西口氏は96年のAERAのインタビューで「隣近所にどれだけ貢献するか、生活の場でどれだけ信頼されるか。そういう運動が大事です」と語っている。

 ■自公協力を協議

 創価学会と有力政治家とのパイプ役も担った。新進党の解党を巡っては、党首を務めた小沢一郎氏と、市川雄一公明党元書記長の関係が冷え込み、西口氏が折衝にあたった。96年に始まった衆院小選挙区比例代表並立制では、自らの組織力だけで勝ち抜くのは厳しく、水面下で自民党との選挙協力の協議も担った。

 しかし、民主党政権交代を果たした2009年の衆院選公明党は大阪、兵庫の6小選挙区で全敗。西口氏は一線からは退いた。

 西口氏の死去は、統一地方選を目前に控えた公明幹部に衝撃を与えた。

 ■維新台頭も影響

 公明は統一選を地域に根を張る「足腰」として最重要視するが、地方議会で定数削減が進み、「過去最も厳しい選挙」(幹部)とみている。特に、橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会が台頭する大阪では、当初の方針を転換し、橋下氏が主張する大阪都構想住民投票に賛成したことの影響で苦戦が予想される。

 西口氏は晩年、入退院を繰り返しながら、助言を続けていたという。関西の学会幹部の一人は「一つの時代が終わった」と語った。

 (坂本泰紀、東岡徹、池尻和生)
    −−「『常勝関西』試される公明 創価学会元総関西長、15日死去」、『朝日新聞』2015年03月31日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11679208.html





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