日記:生き方としての民主主義

A1

        • -

生き方としての民主主義
 現在の政治状況に対して多くの人が感じる無力感は、民主主義というものを、国会とか選挙といった制度的な側面から捉えていることによって生じているのではないだろうか。デューイにとって民主主義とは、もっと豊かな意味を持つものであった。
 彼にとって民主主義とは、多様な人びとが協働し連帯し、それによって生活を営んでいく際の、人びとの生き方の問題なのである。平等で民主的な社会では、政治だけでなく、科学や芸術、倫理、宗教といった領域においても、民主主義の習慣が、人びとのあいだで共有されている。そうした社会において人びとは、自らの個性を追求し、相互交流によって、常に変化していく。そして人びとは、話し合いによって物事を決めていく。それが、デューイの考える、生き方としての民主主義である。
 しかしながら、その実現は容易なことではない。一般的に人びとは、宗教や道徳など、ある種の権威に従って生き方を決めている。制度としての民主主義がいくら整っても、人びとの生き方が民主主義的なものになるとは限らないのである。そこで必要となるのが、公教育において民主主義の習慣と生き方を学ぶ機会を提供することであり、「民主主義の発祥地」であるコミュニティに参加し、自治の経験を重ねることであるとデューイは考えた。
 アメリカに滞在した時、トクヴィルは、入植者たちが作り上げたコミュニティに端を発するタウンミーティングによる自治に、アメリカの民主主義の原点を見出した。そこでは、コミュニティにおける自治が身近にあり、郡と州は少し遠くにあって、連邦としての国家はさらに遠くにあった。リップマンとデューイが問題にしたのは、このコミュニティにおける人びとの紐帯が解体され、バラバラな個人がただ寄り集まっただけの「大社会」が生まれたということ、そしてその社会において、人びとの公共的な意識をいかに再生させるかということである。ひるがえって視点を現代日本へ転じてみれば、この社会もまた、アメリカと同じような道程を辿っていることが分かるだろう。
 しかし、いま必要なのは、伝統的なコミュニティをそのまま復活させることではない。それではうまく行かない。それでは、すでに大人になっているのに、子どもの頃の服を無理やり着せるようなことにしかならない。確かに時代は変わったが、だからといって、すべてが失われてしまったわけでもない。いま必要なのは、この時代にマッチした、新たな習慣と生き方を創造することである。
    −−大賀祐樹『希望の思想 プラグマティズム入門』筑摩書房、2015年、112−113頁。

        • -

http://www.asahi.com/articles/DA3S11681077.html



Resize1830



希望の思想 プラグマティズム入門 (筑摩選書)
大賀 祐樹
筑摩書房
売り上げランキング: 136,968