覚え書:「書評:批評メディア論 戦前期日本の論壇と文壇 大澤 聡 著」、『東京新聞』2015年04月12日(日)付。

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批評メディア論 戦前期日本の論壇と文壇 大澤 聡 著

2015年4月12日
 
◆「商品」としての可能性探る 
【評者】井口時男=文芸評論家
 「商品としての言論」という見出しから始まる。言論(批評)が「商品」なら、その在り方は生産、流通、消費という一連のシステムによって規制されるだろう。実際本書は、ジャーナリズムという「市場」の性質がいかに批評という「商品」の性質に影響を及ぼしたか、という研究なのである。
 全七章の章題を並べれば概要が少しうかがえるかもしれない。いわく、「編集批評論」「論壇時評論」「文芸時評論」「座談会論」「人物批評論」「匿名批評論」「批評環境論」。
 著者の問題意識はある意味で常識に属する。たとえば新聞書評という「商品」なら、圧倒的に多数の買い手(読者)と八百字内外の短い字数という条件が内容を規制しないわけがない。同じ評者が同じ書籍を専門誌で書評すればかなり違ったものになるだろう。それは誰にもわかることだ。
 だが、雑誌から新聞から、こんなにも膨大な資料(雑文みたいなものも多かったろう)を調査して、こんなにも包括的に、こんなにもシャープに整理してみせた研究は初めてかもしれない。著者はいわば、資料の地を這(は)う蟻(あり)の眼と俯瞰(ふかん)する鳥の眼との間を素早く、巧みに往還するのだ。
 調査対象は昭和の初めからのほぼ十年間、西暦なら一九三〇年前後。活字を読む「大衆」が出現し、ジャーナリズムが一挙に膨れ上がった時代だ。文芸時評も論壇時評も座談会も匿名時評も、この時期から一般化する。それだけではない。社会科学(マルクス主義)の見地から、批評という「商品」の社会的存在形式を問題視する言説もまた、この時代に誕生している。著者の問題意識の先駆である。
 以来八十年余り、いまや電子メディアの普及によって「批評環境」が大きく変質しつつある時代だ。なにやら、一時代を終わろうとしている存在が、著者の眼と手を借りて、自己の存在を可能にしていた諸条件をあらためて省察し直しているような気もしてくる。
岩波書店・2376円)
 おおさわ・さとし 1978年生まれ。近畿大講師、メディア史。
◆もう1冊 
 吉見俊哉著『メディア文化論・改訂版』(有斐閣)。新聞・雑誌・テレビ・ネットなどのメディア文化の歴史と社会との関わりを考察。
    −−「書評:批評メディア論 戦前期日本の論壇と文壇 大澤 聡 著」、『東京新聞』2015年04月12日(日)付。

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