覚え書:「今こそ新渡戸稲造:働く青年に自分磨き説いた」、『朝日新聞』2015年05月18日(月)付。
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今こそ新渡戸稲造:働く青年に自分磨き説いた
2015年05月18日
百年前に「自己啓発本」を書いた元祖教養人。もう一つの「教養」が、そこに。
「シェークスピアではなく、観光業に必要な英語を」「憲法ではなく道交法を」。昨秋、大学の役割などを話し合う政府の有識者会議で、こんな提言が注目された。重工業など一部のグローバル産業と、飲食・小売り・福祉などのローカル産業に経済圏を分類。学生をローカル産業に送り出す大学を「L型大学」と呼び、職業訓練校化も検討すべきだという主張だ。
大学全入時代に大学に期待されるのは、教養より「即戦力」養成なのかもしれない。とはいえ、どんな職業にも通じる教養はないのだろうか。
明治から大正時代、一握りのエリートが集う旧制一高校長や帝国大学教授を務めながら、働く青年向けに、雑誌や私設学校を通じて教育をした人物がいる。旧5千円札の肖像や英文の日本論「武士道」で有名な新渡戸稲造だ。
明治末期の1909年、新渡戸は「学問のない人に学問を与へ、煩悶(はんもん)して居る人に、慰安を与へたい」と、八百屋のでっちから商館の番頭、医学生まで幅広い読者がいる経済雑誌「実業之日本」の版元の編集顧問になった。2年後に連載をまとめた書籍『修養』は、言葉は平易。日々の平凡な仕事の積み重ねを大切にし、具体的だ。「不向きな職業を選びて失敗した実例」「名誉心に駆らるる自家広告」といった項目が並ぶ。
修養は、個の意識が高まった明治末期の流行語で、克己や勤勉により品性や人格を磨くという意味だった。当時の「修養」と「教養」は混然一体だった。幅広い文物に触れて教養を身につけることで、人格が磨かれ修養がとげられるという風に、連続してとらえられていた。
新渡戸は旧制一高では哲学や倫理の講義で生徒を魅了し、バンカラだった校風に教養を吹き込んだ。学者がメディアに出るのは俗とされた時代だが、働く青年にも同じ精神を伝えようとした。
修養により到達するのは、どんな境地なのか。約30年前から、つらい時や仕事で悩んだ時に『修養』を開いてきた斎藤兆史(よしふみ)・東大教授(57、英語教育・英語文体論)は、新渡戸の精髄は倫理的なバランス感覚だと考えている。
同書の中のたとえ話で、男性が時計屋を訪れ、鉄道員の息子のために時計を負けてくれと言う。商業道徳としては負けるべきでないが、乗客の迷惑を考えると、悩ましい。
「道徳を説く場合も、どちらが絶対的に正しいということは一切言わない。いろんな価値観を想像力と良心ではかりにかけ、最善の解決法を探し出す精神を伝えている」
一体だった教養と修養の概念は、大正に入ると、エリート向けの教養主義と大衆向けの修養へと分化した。竹内洋・京大名誉教授(73、教育社会学)は、「修養は自己啓発。といってもハウツーものではなく、自分の根本を考え、人格的に高めるという姿勢だ」と話す。最近は政治家や財界人も、自ら修養することへの関心が薄れたのが気になる。新渡戸の目指した、修養を内包した教養教育が、今こそ大切ではないだろうか。
「どんな仕事でも、人と交わったり、いいアイデアを出したりするには、魅力的な人格や幅広い知識が必要。人間は、地域人や家庭人としても生きる。ビジネスに役に立つ人間になるだけでは、満たされることはありません」
知識の誇示ではなく、人格を磨く手段としての教養が、ここにある。
(高重治香)
−−「今こそ新渡戸稲造:働く青年に自分磨き説いた」、『朝日新聞』2015年05月18日(月)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S11759559.html